「横山紘一 (天文学者)」の版間の差分

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== 人物・業績 ==
[[岩手県]][[江刺郡]][[岩谷堂町]](現:[[奥州市]]江刺岩谷堂)出身。岩谷堂中学校、[[岩手県立水沢高等学校]]を卒業し、[[京都大学大学院理学研究科・理学部|京都大学理学部]]宇宙物理学科へ進学、卒業後は緯度観測所(現:[[水沢VLBI観測所]])研究員となった。[[京都大学]]宇宙物理学教室の清水彊のもとで大学院に進む予定だったが、清水の指示により、当時新しい[[望遠鏡]]の導入に伴う定員増があった[[岩手県]][[水沢市]]の文部省緯度観測所(現:[[水沢VLBI観測所]])へ行くことになった<ref>{{Cite journal|和書|title=追悼 古川麒一郎先生|url=http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/2016_109_12/109_12_882.pdf#page=3|journal=天文月報|year=2016|issue=12|volume=109|publisher=公益社団法人[[日本天文学会]]|pages=884-885|author=横山紘一|issn=0374-2466}}</ref>。緯度観測所所属当時、国際緯度観測事業 (ILS) による極運動値は歴代の中央局ごとに天文測地常数や観測制約方法が異なり、70年を超える均質な観測があるにも拘らず、極運動の長期変動の研究に使えるものではなかった。緯度観測所では1899年のILS発足以来の全観測データを観測野帳から起こし、一貫した極運動時系列データを導くILS統一再計算事業を遂行した。その中で横山はデータ解析全般を主導し、結果は1980年に出版された。これは70年以上にわたる国際緯度観測事業の集大成といえるものであった。
 
世界情勢の変化を反映して緯度観測所は中曽根行革の俎上にあがり、事務事業の見直しを経て、国立天文台への改組転換された。横山は、この過程で国立天文台水沢の将来像を[[VERA]]及びRISEならびに測地・地球物理研究の三本柱とすることに重要な貢献をした。横山自身は地球回転研究系主幹を務めるとともにVERA計画の全体を高い見地から推進した。特に、穏やかながら筋を曲げない議論で国立天文台内や国内[[超長基線電波干渉法|VLBI]]研究グループの支援を取り付ける際に大きな貢献をした。また、太平洋VLBI観測網(IRIS-P、水沢がネットワークセンター)の立ち上げは横山の広い国際的人脈なしではあり得ないことであった<ref>{{Cite journal|和書|publisher=日本測地学会|year=2019|title=名誉会員紹介ー横山紘一会員ー|author=真鍋盛二|journal=測地学会誌|volume=65|page=115-|issn=0038-0830}}</ref>。