「エドゥアール・リウー」の版間の差分

追記
(追記)
 
[[File:Jacques Offenbach by Édouard Riou & Nadar.jpg|thumb|left|150px|<small>[[ジャック・オッフェンバック|オッフェンバック]]の戯画</small>]]
定期刊行物の仕事では、新聞「[[イリュストラシオン]]」や博物雑誌「[[ル・マガザン・ピトレスク]]」、「[[ラ・ビブリオテーク・デ・メルヴェイユ]]」に版画を寄稿したほか、[[1855年]]から[[1858年]]にかけて、シャルル・フィリポンが主宰する「ジュルナル・プール・リル」や[[ナダール]]の「ジュルナル・アミュザン」などの雑誌で[[風刺画家]]として最も良く知られるようになった<ref>Aline Lemonnier-Mercier, ''Édouard Riou...'', réf cit. en bibliographie, p.|11</ref>。
 
ニュース雑誌では、アシル・ブーディリエが1857年に創刊した「[[ル・モンド・イリュストレ]]」に[[1857年]]7月18日から[[1886年]]まで寄稿し、[[ナポレオン・ジョゼフ・シャルル・ポール・ボナパルト|ナポレオン・ジェローム]]と[[マリーア・クロティルデ・ディ・サヴォイア|マリーア・クロティルデ・ディ・サヴォイア]]との婚礼記事が特筆された<ref>''Le Monde illustré'' du 2 décembre 1859</ref>。1858年5月23日から[[1895年]]まではミシェル・レヴィが創刊した「[[ユニヴェール・イリュストレ]]」で働き、[[1861年]]から[[1894年]]まではエドゥアール・シャルトンが創刊したパリの旅行雑誌「[[ル・トゥール・デュ・モンド]]」の58の旅行記事に1,193点のイラストを描いた。