「VTJ前夜の中井祐樹」の版間の差分

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『'''VTJ前夜の中井祐樹'''』(バーリトゥードジャパンぜんやのなかいゆうき)は、[[増田俊也]]の[[ノンフィクション]]。
 
この品名を題名にしたノンフィクション集『VTJ前夜の中井祐樹』に収録されている
 
増田の[[北海道大学]]柔道部時代の3期後輩で、後にプロ格闘家([[修斗]]でプロ格闘家に転じた格闘家[[中井祐樹]]との出会いから、彼が[[総合格闘技]]の黎明期に、バーリトゥードジャパン95というワンデートーナメントに出場して、1回戦で片眼を失明しながら決勝まで勝ち進み、ヒクソン・グレイシーと戦うまでの感動的な軌跡を描く。<ref>『ゴング格闘技』2009年6月号</ref>。
 
== ストーリー ==
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1989年4月、その北大道場に[[北海道札幌北高等学校|札幌北高校]]レスリング部の主将だった中井祐樹が、北大に合格して新入生として見学にやってくる。中井は、寝技中心の北大の柔道に驚き、柔道白帯ながら、その場で柔道部に入部することを決意する。
 
増田は4年生の最後の七帝戦を終えた後、北大を中退して新聞記者となり、後輩たちに七帝戦優勝の夢を託した。3年後、3期下の中井祐樹の代がついに悲願の優勝を果たす。中井は部を引退後、すぐに中退届を出して横浜へ移り住み、まだ旗揚げされたばかりの総合格闘技団体プロシューティング後の[[修斗]])に参戦する。
 
世は[[プロレス]]全盛時代で、シューティング勢の真剣勝負興行はまったく世間に認知されていなかった。そこに海外からとんでもない大会が開かれたことが聞こえてくる。ルールをほとんど廃したノールール(バーリトゥード)の大会、第1回[[UFC]]である。優勝したのは[[ホイス・グレイシー]]という聞いたこともない選手だった。ホイスはその後もUFCの連覇を続ける。
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シューティングを主宰する[[佐山聡]]は、ホイスが「実は僕より10倍強い兄がいる」と言った、[[グレイシー一族]]最強の[[ヒクソン・グレイシー]]を日本に招いて、日本初のノールール(バーリトゥード)の格闘技大会を開くことを決定した。
 
しかし、1994年に開かれたこの大会バーリトゥード・ジャパン・オープン94)94」で当時のシューティングのエース2人が惨敗を喫し、ヒクソン・グレイシーの優勝に終わった。次の年、1995年、シューティングが日本の格闘技界の最後の切り札として出場させたのが、北大柔道部で緻密な寝技技術を身に着けた中井祐樹だった。
 
だが、トーナメントの組み合わせが発表されると、マスコミは一斉に中井の命の危険を訴えた。中井の1回戦の相手は第1回[[UFC]]で準優勝し、喧嘩屋の異名をとるオランダの巨漢空手家、[[ジェラルド・ゴルドー]]だった。ゴルドーが198cm・100kgなのに対し、中井は170cm・70kgしかなかった。増田たち北大柔道部のOBが[[日本武道館]]の試合会場で声援を送る中、中井は決死の覚悟でリングに上がっていく。
 
== 漫画 ==
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* [[超二流と呼ばれた柔道家]]
 
=== 関連人物 ===
* [[ジェラルド・ゴルドー]]
* [[佐山聡]]
* [[ヒクソン・グレイシー]]
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