「天徳寺 (水戸市)」の版間の差分

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=== 水戸天徳寺 ===
{{日本の寺院
|名称 = 天徳寺 (水戸天徳寺)
|画像 = [[ファイル:Mito-Tentoku-zi Hondou.jpg|300px260px]]
|画像説明 = 本堂
|所在地 = 茨城県水戸市河和田町919
|鎮守神 =
|本尊 = 十一面観世音菩薩
|創建年 = [[文禄]]2年(1593年)
|開山 = 盛庵全昌
|開基 = [[佐竹義人|佐竹義憲]]
|中興年 =
|中興 =
|法人番号 = 4050005000755
}}
天徳寺が水戸から秋田へ移った際、水戸でも衣鉢を受け継ぐ寺があり'''天徳寺 '''(てんとくじ)を名乗ったは[[茨城県]][[水戸市]]にある[[曹洞宗]]の寺院<ref>{{Cite web|url=https://sotozen-navi.com/detail/index_80002.html |title=天徳寺 |publisher=曹洞禅ナビ |accessdate=2022-01-23}}</ref>。山号は'''岱宗山'''(たいそうざん)<ref name="meikan">{{Cite book |和書 |year=1986 |title=全国寺院名鑑 |publisher全日本仏教寺院名鑑刊行会= |page=茨城-1 }}</ref>。本尊は[[十一面観世音菩薩]]<ref name="meikan"/>。
 
== 歴史 ==
[[文禄]]2年(1593年)8月、[[佐竹義人|佐竹義憲]]によって創建され[[慶長]]3年(1598年)に盛庵全昌によって開山したとする説と<ref name="ibaraki">茨城県の地名(1982)、P.315</ref>、当初は太田にあったものが文禄2年に[[円通寺 (水戸市)|円通寺]]跡に移されたという説がある<ref name="jokan-630"> {{Cite book |和書 |author=水戸市史編さん委員会 |year=1963 |title=水戸市史 上巻 |publisher=水戸市役所 |pages=630 - 631 |id= |isbn= |quote= }}</ref>。その後、現在の[[祇園寺 (水戸市)|祇園寺]](水戸市八幡町)の地にあった<ref name="fuuchi">{{Cite book |和書 |author=水戸市歴史文化財課 |coauthors= |translator= |year=2013 |title=水戸市歴史的風致維持向上計画 |publisher=水戸市 |page=155 |url=https://www.city.mito.lg.jp/000271/000273/000294/001005/bunnka/p005799.html }}</ref>。慶長7年(1602年)には[[徳川家康]]より50石の朱印地を附されている<ref name="ibaraki"/>。
 
[[正徳]]2年(1712年)、四世・大寂界仙の時代に「天徳寺」の寺籍は河和田村(現・水戸市河和田町)へ移され<ref name="ibaraki"/><ref name="fuuchi"/><ref name="chukan"/>、元の天徳寺は祇園寺と寺号を改めて曹洞宗寿昌派の本山寺院となったが数代でその法灯も途絶えた<ref name="chukan"/><ref>{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E5%AF%BF%E6%98%8C%E6%B4%BE |title=寿昌派 |publisher=コトバンク |Author=世界大百科事典 |accessdate=2019-12-22}}</ref>。
 
江戸時代後期に火災で焼失。[[文久]]2年(1862年)に本堂と庫裏が再建されて現在に至る<ref name="meikan"/>。寺宝として[[延享]]3年(1746年)ごろに作成された「[[大般若経]]」と、[[山岡鉄舟]]による山号額を有する<ref name="meikan"/>。なお、幕末には「[[水戸八景]]」に因んだ「河和田八景」の一つ(天徳寺晩鐘)に選ばれている<ref>{{Cite web|url=https://www.city.mito.lg.jp/001245/001355/kokuho3/p017260_d/fil/mitotannmapcourse8.pdf |title=河和田八景コース |publisher=水戸市 |date=2017-02-01 |accessdate=2019-12-18}}</ref>。また、1950年(昭和25年)には茨城県観光審議会が選定した『[[茨城百景]]』のひとつとして、天徳寺を含んだ「水戸城西ハイキンゲコース」が選定されている<ref>{{Cite web|url=http://www.pref.ibaraki.jp/somu/somu/hosei/cont/reiki_int/reiki_honbun/ao40009031.html |title=茨城百景 |publisher=茨城県 |accessdate=2020-01-28}}</ref>。
 
現在、天徳寺がある場所はかつての[[河和田城]]の跡地で<ref name="iitoko">{{Cite book |和書 |author=水戸市商工会議所創立110周年記念事業小委員会「郷土いいとこ再発見」作業グループ |coauthors= |translator= |year=2017 |title=創立110周年事業「郷土いいとこ再発見」 |publisher=水戸市商工会議所 |page=10 |url=https://mito.inetcci.or.jp/mitokentei/info/310iitoko.pdf |format=PDF }}</ref>、周辺の[[報仏寺]]や[[水戸市立河和田小学校|河和田小学校]]も城跡に位置しているが<ref name="iitoko"/>、昭和30年代に行われた調査によれば本堂を囲むように北西から南に掛けて幾重にも[[土塁]]や[[空堀]]が現存しており<ref name="jokan-550">{{Cite book |和書 |author=水戸市史編さん委員会 |year=1963 |title=水戸市史 上巻 |publisher=水戸市役所 |pages=550 - 552 |id= |isbn= |quote= }}</ref>、本堂近くの土塁は上部が削られて墓地として利用されているため正確な規模は判然としないがそれでも基底巾3~5メートル、高さ1.5~3.5メートルとされ<ref name="jokan-550"/>、規模の大きなものでは基底巾8~15メートル、高さ3メートル、上部巾3~10メートルほどのものもある<ref name="jokan-550"/>。また、東側の山門の東西にもそれぞれ80センチから1.2メートルの高さの土塁が残っていた<ref name="jokan-550"/>。なお、現在も残る土塁や堀などの遺構は市の文化財に指定されている<ref>{{Cite web|url=https://www.city.mito.lg.jp/001373/001374/0/shiteibunkazai/siteibunkazai/p020069.html |title=河和田城跡 |publisher=水戸市歴史文化財課 |date=2019-03-20 |accessdate=2019-12-18}}</ref>。
 
{{clear}}
 
<gallery>
ファイル:Mito-Tentoku-zi Sanmon.jpg|水戸天徳寺 三門
</gallery>
 
== 文化財 ==
寺宝として[[延享]]3年(1746年)ごろに作成された「[[大般若経]]」と、[[山岡鉄舟]]による山号額を有する<ref name="meikan"/>。現在、天徳寺がある場所はかつての[[河和田城]]の跡地で<ref name="iitoko">{{Cite book |和書 |author=水戸市商工会議所創立110周年記念事業小委員会「郷土いいとこ再発見」作業グループ |coauthors= |translator= |year=2017 |title=創立110周年事業「郷土いいとこ再発見」 |publisher=水戸市商工会議所 |page=10 |url=https://mito.inetcci.or.jp/mitokentei/info/310iitoko.pdf |format=PDF }}</ref>、周辺の[[報仏寺]]や[[水戸市立河和田小学校|河和田小学校]]も城跡に位置しているが<ref name="iitoko"/>、昭和30年代に行われた調査によれば本堂を囲むように北西から南に掛けて幾重にも[[土塁]]や[[空堀]]が現存しており<ref name="jokan-550">{{Cite book |和書 |author=水戸市史編さん委員会 |year=1963 |title=水戸市史 上巻 |publisher=水戸市役所 |pages=550 - 552 |id= |isbn= |quote= }}</ref>、本堂近くの土塁は上部が削られて墓地として利用されているため正確な規模は判然としないがそれでも基底巾3~5メートル、高さ1.5~3.5メートルとされ<ref name="jokan-550"/>、規模の大きなものでは基底巾8~15メートル、高さ3メートル、上部巾3~10メートルほどのものもある<ref name="jokan-550"/>。また、東側の山門の東西にもそれぞれ80センチから1.2メートルの高さの土塁が残っていた<ref name="jokan-550"/>。なお、現在も残る土塁や堀などの遺構は市の文化財に指定されている<ref>{{Cite web|url=https://www.city.mito.lg.jp/001373/001374/0/shiteibunkazai/siteibunkazai/p020069.html |title=河和田城跡 |publisher=水戸市歴史文化財課 |date=2019-03-20 |accessdate=2019-12-18}}</ref>。
 
== 参考文献 ==
[[Category:茨城県の寺]]
[[Category:水戸市の歴史]]
[[Category:観音菩薩を本尊とする寺]]