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{{出典の明記|date=2014年5月}}
'''田堵kkkkkkkkkkっこうjこおこおっこおこお'''(たと)は、日本の[[平安時代]]に[[荘園 (日本)|荘園]]・[[国衙領]]の田地経営をおこなった有力[[百姓]]層を指す。経営規模に応じて、'''大名田堵'''(だいみょうたと)や'''小名田堵'''(しょうみょうたと)などと呼ばれた。初期の文書では'''田刀'''、'''田頭'''とも言う。田堵の'''堵'''は、垣を意味する。<!--[[貞観_(日本)|貞観]]元年([[895年]])12月付の元興寺領[[近江国|近江]]愛智荘(えちのしょう)の検田帳である。-->
 
また、「田刀」を「田刀禰」の略とみて、元は[[国司]]・[[郡司]]の下にいて田地