「秘密と嘘」の版間の差分

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Azucar (会話 | 投稿記録)
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== ストーリー ==
*イギリスの片田舎のぼろアパートに母親(ブレンダ・ブレッシン)と二十歳過ぎの娘が住んでいる。娘は私生児で、自分の若いときの過ちを棚に上げて、男女問題にまでうるさく干渉してくる母を煙たく思っている。
 
 母親は娘に冷たくされて、「自分が女手一つで苦労して育てたのに」と愚痴をこぼす。娘は「何も産んで欲しいと頼んだ訳じゃない。男に抱かれて勝手に私を産んだくせに」と反論する。冒頭から母と娘の険悪な雰囲気が伝わってくる。
 
 母親には写真館を経営している弟(ティモシー・スポール)がいるが、頼りにしている弟も仕事が忙しくてなかなか会えない。そしてたまに弟がたずねてくると、つい愚痴をこぼして泣き出してしまう。そんな姉を弟はいささか戸惑い気味に、やさしく抱きしめる。そして帰り際にそっと小遣いを手渡す。
 
 彼女は母親を早く亡くし、自分が犠牲になって父親と弟の面倒を自分が見たと思っている。最愛の弟は彼女の妻にとられ、娘も恋人がありながら自分に紹介しようともしない。そんな自分の孤独な境遇を嘆き、人生をのろわしく思っている。つい愚痴や不平不満が口をついて出てしまい、よけいに周りの人間をやりきれない思いにさせる。
 
 そんな彼女の前に突然一人の娘(マリアンヌ・ジャン・バチスト)から電話がかかってくる。そして自分が彼女の娘だと告白する。娘は養父母に死なれた後、役所を訪れて独力で産みの母親を捜し出して電話をよこして来たのである。母親は驚いて最初は会うことを拒絶したものの、説得されて喫茶店で会うことになる。
 
 会って驚いたことに、その娘の肌は黒かった。十六歳の時、子供を産んだ彼女はすぐに赤ん坊から引き離され、自分の子供がどんな皮膚の色をしていたかも知らなかったのだ。肌の色の黒いその娘は、大学を出て、眼検技師をしているという。養父母を失って、今は一人で自立して暮らしている。聡明でチャーミングな黒人娘に、母親はしだいに心を許すようになる。
 
 母親は父親違いの妹であるもう一人の娘に、肌の色の黒い姉がいることを告白することが出来ない。母親が頻繁に外出するようになったのをみて、てっきり男が出来たのだと思い、「ちゃんと避妊をするのよ。その歳で妊娠したらみっともないから」と皮肉を言われたりする。
 
 その下の娘が二十一歳になる誕生パーティが弟の家で催されることになり、母親はそこへ上の娘を自分の職場の友人だと偽って出席させる。誕生会はいつになく和やかに進んでいたが、突然黒人娘を自分の実の娘だと口走り、パーティの雰囲気が一変する。
 
 下の娘は自分に父親の違う姉がいることに愕然とし、二度までも得体の知れない男を相手に私生児を産んだふしだらな母親に絶望して家を飛び出す。彼女の恋人と母親の弟の叔父が彼女を追う。バスの停留場のベンチに座って、かたくなに母親を拒み続ける娘を、叔父は何とか説得して家に連れて帰る。
 
 このあと、弟の妻をも巻き込んで、さらに騒動が持ち上がり、「家族の秘密と嘘」があばかれる。しかし、お互いの嘘がすっかり暴かれて、赤裸々な自分をさらして泣き崩れたとき、はじめてお互いの心に、相手を思いやるゆとりが生まれる。そして反目し会って生きてきた者たちの間に、意外な和解が生まれる。
 
 秘密と嘘の中でお互いの本心を偽りながら相手ばかり非難して利己的に暮らしてきた人々。しかし、黒人の娘の出現をきっかけに人々の心が変わっていく。人生をのろい、愚痴ばかり口にしていた母親が、最後には二人の娘を前にして「人生って素晴らしい」とつぶやくにいたるのである。映画を見終えた私もまたしみじみと同じ言葉をつぶやきたくなる。
 
 登場人物は女性が中心である。しかしその中にあって、母親の弟を演じたティモシー・スポールがしぶい演技を見せている。母親役のブレンダ・ブレッシンの真に迫った演技は時には息苦しいほどだったが、黒人娘のマリアンヌ・ジャン・バチストのさわやかな風がそれを救っていた。
 
 監督のマイク・リー監督は小津安二郎のフアンだという。家族の愛をしっかりとした技術と精神の奥行きを持って描いている点で共通する。この映画に小津作品ほどの端正な静謐さはないが、肉親の愛憎のドラマをダイナミックに描いたイギリス映画らしい傑作だと言えよう。
 
 
== キャスト ==