「バカヤロー解散」の版間の差分

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=== その後 ===
直後に吉田は発言を取り消し、西村もそれを了承したものの、この失言を議会軽視の表れとした[[社会党右派]]は、吉田を「議員としての[[懲罰事犯]]」に該当するとして[[懲罰委員会]]に付託するための動議を提出(この背景には[[鳩山一郎]]・[[三木武吉]]ら[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]非主流派の画策があったといわれる)。3月2日に行われた採決に際しては、自由党非主流派ばかりか野党の[[改進党]]で吉田側と協調姿勢を見せていた[[大麻唯男]]らの一派が欠席したことで動議の可決は微妙と見られていたが、主流派と見られていた[[広川弘禅]]農相らの一派も欠席(この欠席を理由に広川は農相を[[罷免]
]された)したため懲罰委員会への付託動議は可決された(その後、懲罰委員会は開かれたものの、委員会としての決議は出ぬまま衆院解散により廃案となったため、本会議場における懲罰は科されていない)。
 
さらに追い討ちをかけるように[[内閣不信任決議]]案が提出され、先の懲罰事犯の委員会付託動議採決で欠席した自由党鳩山派30余名が[[日本自由党 (1953-1954)|脱党]]し不信任案に賛成したために3月14日にこれも可決。これを受けて吉田は衆議院を解散し、4月19日に[[第26回衆議院議員総選挙]]が行われることになった。