「第1軍団ゲルマニカ」の版間の差分

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そして軍団はゲルマニアで善戦、再び「ゲルマニカ」の名称を獲得する。ただし、この頃の資料で分かっているのは軍団がコロニア・ウビオルム(現[[ケルン]])に駐在していた事のみであり、彼等の業績が具体的に何時の何処での戦闘なのかは分かってはいない。恐らく[[大ドルスス]]の指揮のもとでゲルマニア戦役に従軍したものと思われる。ドルススの軍団からの支持は絶大で、第1軍団の例外なく、喜んで参加したものと考えられている。しかしドルススは[[紀元前9年]]に落馬がもとで死去してしまう。そして後にドルススの息子、[[ゲルマニクス]]が[[プロコンスル]]として8つの軍の指揮官に任命されるものの、アウグストゥスの治世ではこれ以降ゲルマニアへの侵攻は控えられた。
 
アウグストゥスの軍団再構築で駐在区域は[[低地ゲルマニア]]という[[皇帝属州]]となり、5つの軍団が駐在し、[[プブリウス・クィンクティウス・ウァルス]]によって統治された。しかしながら、そのウァルスが[[9年]]に[[トイトブルクの戦い]]で戦死、軍団3つも全滅する。幸いにも第1軍団はウァルスではなく、別の者の指揮であったので、全滅の危機から逃れる事ができた。
 
アウグストゥスの死後、元老院よりゲルマニクスがゲルマニア遠征の司令官に任命される。しかしながら[[第21軍団ラパクス]]、[[第5軍団アラウダエ]]、[[第10軍団ウァレリア・ウィクトリクス]]、そして第1軍団ゲルマニカの中で反乱の噂が流れ、急遽ゲルマニクスはゲルマニアへ赴き、反乱を鎮圧、しかしながら軍団内で流血が起こり、軍団内の不調和を解消するためにゲルマニクスはゲルマニアの侵攻を敢行、多くのゲルマン人を虐殺し、軍団内の調和を整える事ができた。それから彼の人気は市民からも軍団からも厚くなった。その後もゲルマニクスの指揮のもとゲルマニアで転戦する。
 
=== ネロの死後、解散 ===