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[[ファイル:Здание_Сената_и_Синода_(2).jpg|右|サムネイル|250x250ピクセル|[[サンクトペテルブルク]][[元老院広場 (サンクトペテルブルク)|上院広場]]にある上院と[[聖務会院|教会会議の]]建物]]
'''元老院'''(げんろういん、The '''Governing Senate''' (Правительствующий сенат, ''Pravyashchiy Senat'') は、[[ツァーリ|ロシアの皇帝]]の立法、司法、行政機関であり、ボイヤー・[[ドゥーマ]]に代わるものとして[[ピョートル1世 (ロシア皇帝)|ピョートル大帝]]によって設立され、ロシア帝国の最末期まで存続したもので、検察官が元老院議長を務め、主権者と議会は皇帝元老院橋渡し役であり、皇帝自身の言葉結んだ借りれば「主権者の眼」として皇帝自身の言葉で行動機能した。
 
もともとはピョートルが不在の時だけ設立されたが、彼が戻った後は恒久的な組織となった。上院議員数は最初は9人に設定され、1712年には10人に増えまし員された。最高検察官皇帝の代理人たる元老院議長元老院の間の意見の不一致は、君主によって解決されることになっていた。そのの特定の役人と首相官庁元老院に所属していた。その後多くの変更が加えられたが、特に行政ととっおいて、ロシア帝国の最も重要な機関の1つとなった。
 
アレクサンドル1世によって創設された[[ロシア帝国国家評議会]]は、元老院の行政権を継承することになっていた。[[議会]]は[[立法権]]を継承することになっていたが、そのようなこと実現しなかった。
 
19世紀に、元老院はロシアで最高の司法機関に発展した。このようにそれは全国すべての法制度と役人官僚を支配した。
 
元老院はいくつかの部門で構成され、[[最高裁判所]]大審院はそのうちの2つ(1つは刑事事件用、もう1つは民事事件用)を構成していたまた、貴族や名誉市民の権利を管理する紋章学科を局が設置されていた。
 
== 検察総元老院議長 ==
 
== 検察総元老院議長と法務大臣 ==
 
== ソースとリファレンス ==
 
== 脚注 ==
* {{Cite book|last=Steinberg, Mark D.|last2=Riasanovsky, Nicholas Valentine|title=A History of Russia|publisher=Oxford University Press|location=Oxford [Oxfordshire]|year=2005|isbn=0-19-515394-4}}