「エディ・フロイド」の版間の差分

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アラバマ生まれだが、ほどなく北部デトロイトに移転し、十代のころからファルコンズを結成して活動した<ref>「ソウル&ファンク」p.83 ミュージック・マガジン発行</ref>。当時のレパートリーには「ユア・ソー・ファイン」が含まれ、後に[[ウィルソン・ピケット]]<ref>「ダンス天国」「ミッドナイト・アワー」などがヒット</ref>がリードシンガーとしてグループに加入したときには「アイ・ファインド・ア・ラブ」が含まれた。その後、ピケットはソロのキャリアを開始し、ファルコンズは解散した。
 
フロイドは1965年に、メンフィスを拠点とするスタックス・レコードと、ソングライターとして契約を結んだ。彼は、カーラトーマス<ref>「ジー・ウィズ」はアトランティックが配給を引き受けたことで全米ヒットとなった</ref>が録音したヒット曲「コンフォート・ミー」を作曲した。その後、スタックスのギタリストであるスティーブ・クロッパー<ref>「ミッドナイト・アワー」「ドック・オブ・ザ・ベイ」の共作者</ref>とチームを組み、ウィルソン・ピケットの曲を書いた。アトランティック<ref>レイ・チャールズ、ルース・ブラウンなど多数のソウル、R&Bのレコードを発表した</ref>はスタックスのレコードを配給し、ジェリー・ウェクスラーはニューヨークからピケットをブッカーT.&MG<ref>「グリーン・オニオン」はインスト曲ながら全米ヒットになった</ref>と共演させるするために、メンフィスに連れてきた。ピケット・セッションは成功し、フロイドと共作した「99 and Half(Won't Do)」や「634-5789(Soulsville、USA)」など、いくつかの全米ポップ・ヒットとR&Bヒットを生み出した。さらにフロイド自身も1966年には「[[ノック・オン・ウッド]]」のヒットを放った<ref> [https://www.allmusic.com/album/knock-on-wood-mw0000263925 ノック・オン・ウッド] 2021年10月7日閲覧</ref>。
 
==脚注==