「スメンクカーラー」の版間の差分

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{{複数の問題
{{出典の明記|date=2021年7月}}
|正確性=2022年3月
|独自研究=2022年3月
}}
{{Pharaoh Infobox
|名前=スメンクカーラー
|Prenomen=Ankh kheperu Ra<ref>{{Citation|first=Peter|last=Lundström|year=2011|title=Smenkhkara|url=https://pharaoh.se/pharaoh/Smenkhkara}}</ref>
|Alt=
|PrenomenHiero=<hiero>ra-anx-xpr-Z2</hiero>
|Image=Spaziergang im Garten Amarna Berlin.jpg|150px
|Prenomentranslit=anx-xpr.w-ra
|Caption=スメンクカーラー(左)と王妃のメリトアテン(右)
|Prenomentrans=Living are the manifestations of Ra
 
|Nomen=Smenkh{{Efn|翻字がs.mnxであり、3音節強動詞mnx(menekh)の使役動詞形であるため、厳密には"semenekh"である。}} ka Ra, djeser kheperu{{Sfnp|Lundström|2011}}
|NomenHiero=<hiero>ra-z:mnx*kA-D45-xpr:Z2</hiero>
|Nomentranslit=s.mnx-ka-ra, Dsr-xpr.w
|Nomentrans=Effective is the soul of Ra, holy of forms
 
|Image=Relief of a young pharaoh and a queen holding flowers 02.jpg|200px
|Caption=スメンクカーラー(左)王妃推定される人物トアテン(右)ーフ
|統治期間=紀元前1336年–1334年
|王朝=第18王朝
|共同統治者=[[ネフェルネフェルウアトン|ネフェルネフェルウアテン]]
|共同統治者=
|前王=[[アクエプ4世]]
|次王=[[ツタンカーメン]]
 
|配偶者=[[メリトアテン]]
|埋葬地=KV55?
|子息=
|子女=
|父=諸説有り不明
|母=
|生年=
|没年=
|埋葬地=KV55?
|記念物=
|}}
'''スメンクカーラー'''(ス{{Efn|翻字に従って正確にカタカナ化すれば、「セラー」である。}}(Smenkhkara、? - 前1336年頃SmenkhKaRa)在位: 前1338年頃 - 前1336年頃{{Sfnp|松本|1998|p=219}})は、[[古代エジプト]][[エジプト第18王朝|第18王朝]]の[[ファラオ]](王)。名は「生あるものは[[ラー神]]の出現」の意
 
== スメンクカーラーの謎 ==
スメンクカーラーは新王国時代のファラオにしては珍しく、実像がほとんど明らかになっていない。[[ツタンカーメン]]や[[アメンホテプ4世|アクエンアテン(アメンホテプ4世)]]と共に後世の王名表から名が削除されたことや、ツタンカーメンよりも像やレリーフなどの遺物が残されていないためである(ツタンカーメンの場合も、墓から出土した物以外の遺物は極めて少ない)。
 
=== 系譜 ===
[[アメンホテプ3世]]の子でアクエンアテンの弟である、アクエンアテンの息子である、などいう説もあるが、系譜上における位置が確定していないため、結論定かで未だに無い。中にはスメンクカーラーの即位名「アンクケペルゥラー」を正体不明のファラオで王妃[[ネフェルティティ]]が[[ハトシェプスト]]に肖って即位した際に使った偽名同定する説も存在すがあ。スメンクカーラーの別名「ネフェルネフェル・ラー」をネフェルィティが用いていたことに加え、スメンクカーラーがあたかも女性としての扱いを受けていたかのようなことを匂わせる遺品等も数多く発見されており、このことがよけいに研究者を混乱させている。
 
アクエンアテンの共同統治者とされ、[[メンフィス (エジプト)|メンフィス]]を本拠地に[[アメン]]神官団とアクエンアテンとの意見の調整を行っていたと考えられている。王妃はアクエンアテンの王女[[メリトアテン]]。子は確認されていない。
 
=== 墓とミイラ ===
アクエンアテンとほぼ同時に亡くなっているようであるが、在位期間の短さのため墓が用意されていなかったのか、それとも何らかの混乱があったためか、最初からスメンクカラーのために用意された墓は現在も確認されていない。
イギリスの歴史ミステリ作家であるグレアム・フィリップス([[:en:Graham Phillips (author)|Graham Phillips]])は王家の谷 )によると、KV55をスメンクカーラーの墓とし、アクエンアテンの妃の一人(ティイ)のものと思われる女性の棺、陵墓を再利用してスメンクカーラーの墓に充てたとしている。棺は顔が判別できないほどに右目を残してことごとく破壊され、頭部のウアジェト女神と顎鬚は後から加えられ無理矢理男性の型に直されたは一目瞭然であも取れうる。またその陵墓は文字の類ひとつない粗雑な未完成の墓であり、壁の加工も粗末で地下水の浸水により、発見当初棺は開いて防腐処理されたはずの遺体はすでに腐って白骨化していた。
しかし、[[ザヒ・ハワス]]等、KV55をアクエンアテンの王墓と位置づけている研究者もおり、解決をみない。
 
発見された遺体は男性のものであるが、その腕はなぜか女性の形(片腕を胸に置き、もう片方の腕を身体に沿って下げる)で納棺されていた{{要出典|date=2022年3月}}
KV55から発見されたミイラは[[エジプト考古学博物館]]で保管されているが、棺が破壊されていたため発見当時には既に白骨化していた。このため、死因に関しても[[過労死]]説、殺害説などがあり不明。
発見された遺体は男性のものであるが、その腕はなぜか女性の形(片腕を胸に置き、もう片方の腕を身体に沿って下げる)で納棺されていた。
 
=== 遺物 ===
頭像とされるものが発見されており、容姿はある程度判明している。(ただこれもまた奇妙なことに、男性なのに胸部が女性のように膨らんでいたり、と謎が多い)また、ツタンカーメンの第二の棺と[[カノプス壷]]に収められたミニチュア棺型の臓物容器は、いずれも元来スメンクカーラーのために作成された副葬品であることが確認されている([[X線]]などによる「潰された」[[カルトゥーシュ]]の精査、および[[ハワード・カーター]]のツタンカーメン王墓発掘の際の手記などによる){{要出典|date=2022年3月}}。そのほかツタンカーメン王墓で出土した副葬品の内、かなりのものがスメンクカーラーの物であったことも判明している{{要出典|date=2022年3月}}。これらの証拠から、スメンクカーラーが実在した可能性は高いと見られている。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|25em}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=松本 弥|date=1998|title=図説 古代エジプトのファラオ|publisher=株式会社 弥呂久|ISBN=4946482121|ref={{sfnref|松本|1998}}}}
 
== 関連項目 ==
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{{Commonscat|Smenkhkare}}
{{先代次代|[[ファラオ|古代エジプト王]]|132[[エジプト第18王朝]] 第11または12代<br>前1336-13341338-1336年頃?|[[アメンホテプ4世]]|[[ツタンカーメン]]}}
 
{{DEFAULTSORT:すめんくかあらあ}}
[[Category:第18王朝のファラオ]]
[[Category:アマルナ時代]]
[[Category:アメンホテプ4世の子女]]
[[Category:生没年不詳]]