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'''肝付兼幸'''(きもつき かねゆき、[[文禄]]元年([[1592年]])-[[慶長]]15年([[1610年]])12月11日)は[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]初期の[[武士]]、[[鹿児島藩]]藩士、[[肝付氏]]本家20代当主。実質的に肝付本家の最後の当主となった人物である。
[[肝付兼護]]と後妻・税所氏の間の長男として生まれるが、この頃の肝付氏は転封で旧領の[[高山城|高山]]を追われていたことにくわえ、家臣団の内紛や父・兼護が先妻
慶長15年、[[島津忠恒|島津家久]]が[[尚寧]]を連れ上洛、兼幸も家臣として同行する。ところが帰国途中に乗船が暴風雨に遭い難破、兼幸は船と運命を共にし溺死した。享年19。
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