「日本のビール」の版間の差分

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[[1939年]]、日本のビール製造量が[[第二次世界大戦]]前のピークに達するが、同年9月18日に物価停止令による販売価格の固定化、続いて[[1943年]]に製品の規格が統一化されて、戦後の1949年まで[[ブランド]]が消滅する時代が続いた<ref>[http://www.kirin.co.jp/entertainment/museum/history/kaisetsu/bk_05.html 戦時下、統制下におけるビール] キリンビール・ホームページ(2017年8月27日閲覧)</ref>。1949年には大日本麦酒が朝日麦酒と日本麦酒に分割され、麒麟麦酒との三社体制になった{{sfn|柳田卓爾|2008|p=58}}。
 
[[1957年]]に醸造用アルコール生産高が日本2位に成長していた[[宝酒造]]が「タカラビール」の販売を開始するが、3社寡占状態もあって酒[[問屋]]にタカラビールの取り扱いを断られたこともあり、販路拡大に失敗。[[1967年]]にはビール醸造から撤退した<ref>{{cite web|url=httphttps://www.sankei.com/westarticle/news20150621-HLAVHC6IBJN3JGAQUWRIVPCMMY/150621/wst1506210001-n1.html|date=2015-06-21|title=「いつの時代も種はある」ビールの失敗が生んだバイオ事業躍進 宝ホールディングス。|publisher=[[産経デジタル|産経WES]]T|accessdate=2018-03-08}}</ref>。[[1959年]]には[[沖縄県]](当時は[[アメリカ合衆国による沖縄統治|アメリカ合衆国統治下]])で[[オリオンビール]]が生産を開始する。[[1963年]]には[[サントリー]]がビール製造を開始している。
 
=== 「生ビール」論争 ===