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'''醍醐の花見'''(だいごのはなみ)とは、慶長3年([[1598年]])春に[[豊臣秀吉]]([[1536年]]または[[1537年]]~[[1598年]])が[[京都]]の[[醍醐寺]]において、[[豊臣秀頼]]、[[北政所]]、[[淀殿]]ら近親の者を初めとして、諸大名からその配下の者など約1300名を従えて盛大に催した[[花見]]の宴である。
[[応仁の乱|応仁
古今東西の多彩な献上品やアトラクションが供せられ、諸大名のあいだではすでに秀吉亡き後の政権のあり方について、陰に陽にさまざまな駆け引きや腹の探りあいがあったという。
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