「池谷直樹」の版間の差分

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* [[1996年]]、[[アトランタオリンピック]]において、[[FNNスーパータイム]]の[[ニュースキャスター|キャスター]]を務める。
* [[1997年]]、全日本社会人選手権では個人総合4位、鉄棒種目優勝の記録を残す。
* 私生活では3人の子供がおり、体操以外では[[デコレーション]]の資格も保持し、デコレーション専門店を経営している。
* [[2001年]]、結婚。
* 私生活では3人の子供がおり、体操以外では[[デコレーション]]の資格も保持し、デコレーション専門店を経営している。
* [[2015年]]1月15日、株式会社サムライ・ロック・オーケストラを設立。
* [[2020年]]7月13日、[[旭警察署 (神奈川県)]]の1日[[警察署長]]を務める。
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== 人物・エピソード ==
 
==== 体操 ====
体操を習っていた頃は、同じく体操を習っていた周りの生徒がオリンピックを目指していたことで自身も半ば周りに流される形で「オリンピックに出ることが夢」と言っていた。兄の幸雄が中学3年次に五輪出場を果たしたことで、自分も成績を残してオリンピックに出なければならないというプレッシャーがあったが、母親の助言を機にオリンピック出場にとらわれない体操人生を歩むことを決意。その後、幸雄からの鶴の一声で[[日本体育大学]]に入学し、大学での体操生活をスタートさせる、上下関係に厳しい環境自身が1年次に入学したときに幸雄は4年次で先輩だったため、大学では敬語で「池谷さん」と呼びとても兄弟とは思えない関係性であったが、自身が2年次のときに幸雄は体操から現役を引退したことで遅咲きながら兄弟としての関係を構築することが出来たと言うが、過去に。それまで兄弟間で体操における才能で比較されたり自宅の前に幸雄のファンがサインを求め押し掛けた際には、幸雄が直樹に大量のサイン色紙を渡して代筆させられたりと兄弟間で確執があった。幸雄の引退後に体操の技術が徐々に向上し、4年次のインカレでは全国で3番目の成績を残したことで、兄貴に続いてオリンピック出場の兆しが見え始めた。社会人1年目の時に[[アトランタオリンピック]]の出場を懸け、7人が出場できる予選会で二次予選の段階で8段目に通過し出場の当落線上にいるも最終的には10番目で出場は叶わなかった。一時は4年後のオリンピック出場に向けて練習を続けることも過ったが、次の機会を得るまでの期間体操を続けることが自分にとって「楽をしている」と思い引退を決意した。
 
=== ケイン・コスギとの関係 ===
自身が「スポーツマンNo.1決定戦」の芸能人大会で初出場をするまでは、テクニアルアドバイザーの肩書きで大会出場者に跳び箱の跳び方を伝授しており、勿論ケインにもアドバイスを続けていた。MONSTER BOXでは他の選手が記録15段で終了する中、ケインは17段、19段と徐々に当時の芸能人新記録を更新。1998年の第4回芸能人サバイバルバトルでは世界歴代2位となる'''22段(高さ2m96cm)'''を'''両足着地'''で成功させ、跳び箱を通してケイン・コスギと言う名前を一躍有名にさせた立役者となる。この時の池谷とケインの関係は指導者と挑戦者の立場で良き師弟関係に置かれていたが、翌年の大会で池谷が初めて挑戦者として参戦することで一気にライバル同士の関係になる。その後ケインが2004年のプロ大会を最後に長年コロッセオを後にするまでは、お互いMONSTER BOXを始め数々の競技で名勝負を繰り広げた。2018年元日に放送された「[[最強スポーツ男子頂上決戦]]」でMONSTER BOXが開催され池谷自身は出場していないものの会場に足を運び、14年ぶりにコロッセオに帰ってきたケインと握手を交わし、当時43歳ながら20段をクリアしたケインの試技を間近で見守った。このとき番組スタッフからのインタビューでケインとの存在と聞かれ「'''今の自分があるのはケインがいたおかげ'''」と述べている。2020年にはケインが[[室伏広治]]に次いで総合2位となった2002年のプロ大会が一夜限りで地上波で放送されることを機に、ケインとインスタライブを行い、その際ケインが日頃ゲーム配信を行っているサイトで、[[プレイステーション]]シリーズの「筋肉番付」のソフトを使ってゲーム対決することを約束し放送後に実現。ゲームでありながらも実に16年ぶりの直接対決が配信され視聴者を虜にした。配信中には当時の裏話で盛り上がり、MONSTER BOXでは前述の通り、池谷が出場前にケインにずっと指導する立場であり、自らが出場して跳び箱と総合で優勝して以降ケインとのライバル関係が始まってからケインに指導をしなくなった事実を打ち明けた。ケイン曰く「池谷さんが段々僕のことをほっておいたから、跳び箱(の記録)が下がった」と述べている。また対決に先駆けては自身のYouTubeチャンネルでゲームを練習する模様が公開され、ケイン自身もチャットで視聴者からアドバイスを受けながら練習を行っていた。2022年3月に放送された第11回のスポダンでは、ゲームとは異なる実際の競技で実に18年ぶりの共演となった。
 
=== 私生活 ===
「[[筋肉番付]]」で頭角を現すまでは、体操で紀陽銀行の実業団選手として競技で結果を残すことで給料を貰っており2年ほどで退職後、パチンコ店のアルバイトで生計を立てるも年収は180-200万円ほどで家のガスが止められ、今の奥様とも交際していたことから生活がかなり逼迫していた。
家族は奥様と3人の息子がおり、長男は現在[[神奈川県]][[川崎市]]にある[[川崎競馬場]]でプロ騎手として活躍している池谷匠翔。
 
趣味は[[動物]]、[[麻雀]]、ゴルフ。動物はマイクロブタや[[ケヅメリクガメ]]など珍しいペットを飼っており、現在の自宅を建てるときに動物と暮らすことを前提にリビングの一室や屋外に動物のための住処を確保するほどの愛好家である。
==== ケイン・コスギとの関係 ====
自身が「スポーツマンNo.1決定戦」の芸能人大会で初出場をするまでは、テクニアルアドバイザーの肩書きで大会出場者に跳び箱の跳び方を伝授しており、勿論ケインにもアドバイスを続けていた。MONSTER BOXでは他の選手が記録15段で終了する中、ケインは17段、19段と徐々に当時の芸能人新記録を更新。1998年の第4回芸能人サバイバルバトルでは世界歴代2位となる'''22段(高さ2m96cm)'''を'''両足着地'''で成功させ、跳び箱を通してケイン・コスギと言う名前を一躍有名にさせた立役者となる。この時の池谷とケインの関係は指導者と挑戦者の立場で良き師弟関係に置かれていたが、翌年の大会で池谷が初めて挑戦者として参戦することで一気にライバル同士の関係になる。その後ケインが2004年のプロ大会を最後に長年コロッセオを後にするまでは、お互いMONSTER BOXを始め数々の競技で名勝負を繰り広げた。2018年元日に放送された「[[最強スポーツ男子頂上決戦]]」でMONSTER BOXが開催され池谷自身は出場していないものの会場に足を運び、14年ぶりにコロッセオに帰ってきたケインと握手を交わし、当時43歳ながら20段をクリアしたケインの試技を間近で見守った。このとき番組スタッフからのインタビューでケインとの存在と聞かれ「'''今の自分があるのはケインがいたおかげ'''」と述べている。2020年にはケインが[[室伏広治]]に次いで総合2位となった2002年のプロ大会が一夜限りで地上波で放送されることを機に、ケインとインスタライブを行い、その際ケインが日頃ゲーム配信を行っているサイトで、[[プレイステーション]]シリーズの「筋肉番付」のソフトを使ってゲーム対決することを約束し放送後に実現。ゲームでありながらも実に16年ぶりの直接対決が配信され視聴者を虜にした。配信中には当時の裏話で盛り上がり、MONSTER BOXでは前述の通り、池谷が出場前にケインにずっと指導する立場であり、自らが出場して跳び箱と総合で優勝して以降ケインとのライバル関係が始まってからケインに指導をしなくなった事実を打ち明けた。ケイン曰く「池谷さんが段々僕のことをほっておいたから、跳び箱(の記録)が下がった」と述べている。また対決に先駆けては自身のYouTubeチャンネルでゲームを練習する模様が公開され、ケイン自身もチャットで視聴者からアドバイスを受けながら練習を行っていた。2022年3月に放送された第11回のスポダンでは、ゲームとは異なる実際の競技で実に18年ぶりの共演となった。
 
=== その他 ===
「[[筋肉番付]]」で頭角を現すまでは、体操で紀陽銀行の実業団選手として競技で結果を残すことで給料を貰っており2年ほどで退職後、パチンコ店のアルバイトで生計を立てるも年収は180-200万円ほどで家のガスが止められ、今の奥様とも交際していたことから生活がかなり逼迫していた。
 
 
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* 1995年10月、日本体育大学体操競技部で世界記録を目指し挑戦し、[[長澤憲一]]と共に世界記録20段を越えた。
* [[1999年]][[3月26日]]に放送された、『スポーツマンNo.1決定戦・第5回芸能人サバイバルバトル』では、BEACH FLAGS・MONSTER BOX・QUICK MUSCLEの3種目を制した。MONSTER BOXでは最後[[ケイン・コスギ]]との[[一騎討ち]]となったが、結局ケインが世界歴代2位22段(高さ2m96cm)、池谷が'''世界記録23段(高さ3m06cm)'''で優勝した。
* [[2000年]][[3月24日]]に放送された『スポーツマンNo.1決定戦・第6回芸能人サバイバルバトル』では、これまでの茶髪に近い髪色から一転して金髪に染めての参戦。BEACH FLAGSでは1回戦から他を圧倒する速さで旗を獲得。決勝でケインに対して体一つ分して旗をキャッチ。見事2大会連続の種目別No.1を獲得。MONSTER BOXでケイン・コスギと共に世界歴代2位となる22段を互いに1回目で成功させた後、世界記録となる23段の1回目で足を強打し2回目を棄権。同じく22段を成功させたケイン・コスギ世界記録となる23段を2回とも失敗し、22段両者池谷No.1を分け合う形なった。暫定総合1位で迎えたQUICK MUSCLEでは147回の芸能人記録保持者の威信にかけて挑むが、隣のケイン・コタートからハイペースで回数を熟しリードを許したことで、後半勝負に懸けるも前半許したリードを取り返せず、自己記録に届かない134回となり152回(当時両者が芸能人新記録)を樹立したケインに敗れる。その後パワー系種目のPOWER FORCEは2回戦で[[工藤順一郎]]に敗れ、WORK OUT GUYSでも同組のケインに大差をつけられ、総合順位でもケイン446P、池谷350PとなりケインにNo.1を譲る形となった。
* [[2001年]][[1月1日]]に放送された『スポーツマンNo.1決定戦』は、足首骨折の影響でMONSTER BOXの記録が20段に終わり、ケイン・コスギにNo.1を譲った。
* 2001年[[3月23日]]に放送された『スポーツマンNo.1決定戦』は、BEACH FLAGSでは順当に準決勝まで勝ち進み、池谷は[[西山浩司]]と[[照英]]に挟まれる形で中央のポジションに配置され、スタートで出遅れた焦りからか思わず西山の右腕を掴み背後から抑え込む形で旗を獲得した。しかし競技後に審議が下され、ビデオ判定の結果'''反則行為により失格'''の判定が下され、芸能人大会で唯一決勝進出を逃した大会となった。MONSTER BOXでは前回足首骨折で大会を欠場した影響がまだ残っており、19段と22段の1回目を失敗したものの、最終的に記録22段でNo.1となった。QUICK MUSCLEではケインが保持していた芸能人記録177回を超える'''188回'''をマークし、自身2度目の芸能人新記録更新を果たしNo.1に輝く<ref>尚、この大会でケインは自己記録に届かない163回で2位となった。</ref>。
* 2001年[[3月23日]]に放送された『スポーツマンNo.1決定戦』は、足首骨折の影響がまだあり、MONSTER BOXで19段、22段の1回目失敗したものの、最終的に記録22段でNo.1となった。
* [[2002年]]1月1日に放送された『スポーツマンNo.1決定戦・第8回プロスポーツマン大会』では、BEACH FLAGSでスタートから起き上がった瞬間にバランスを崩し過去最低の3回戦敗退に終わり、それが響いたのか過去最低の総合7位となった。だがMONSTER BOXでの'''2回目の23段跳躍'''(芸能人大会・プロ大会両方での23段成功)、SHOT-GUN-TOUCHの自己記録更新など活躍を見せた。MONSTER BOXで初めて24段(高さ3m16cm)に挑戦したが失敗に終わった。
* [[2003年]]10月に放送された『スポーツマンNo.1決定戦・第12回芸能人サバイバルバトル』では、打倒[[なかやまきんに君]]を掲げ久しぶりの登場となった。各競技での自己記録更新はなかったが見事2度目の優勝を果たした。
* [[2004年]]1月1日に放送された『スポーツマンNo.1決定戦・第10回プロスポーツマン大会』では、MONSTER BOXで優勝し総合5位に。MONSTER BOXで24段に挑戦したが失敗に終わった(2回目)。
* 2004年[[4月5日]]に放送された『スポーツマンNo.1決定戦・第13回芸能人サバイバルバトル』では、[[永井大]]・きんに君とともにNo.1争いを展開した。最後はわずか10p差で池谷が勝ち、見事自身初の2連覇を達成した。
* [[2005年]]1月1日に放送された『スポーツマンNo.1決定戦・第11回プロスポーツマン大会』では、BEACH FLAGS、MONSTER BOX、SHOT-GUN-TOUCHで優勝し、プロ初の総合No.1に輝いた。
* 2005年4月に放送された『スポーツマンNo.1決定戦・第14回芸能人サバイバルバトル』では、2人目の3連覇達成を目指した手の参戦。QUICK MUSCLEでは自己記録174回のきんに君をマークしていたが、自身の挑戦前に挑戦した[[ワッキー]]が池谷の持つ芸能人記録ならびに自己記録(188回)を僅かに2回上回る'''190回'''をマークしたことで、この種目でNo.1を獲るにはワッキーの記録を超えて尚且つ同組で前回こ種目を制した[[なかやまきんに君]]にも勝たなければならない厳しい状況下で両者開始1分で100回を超えるデッドヒートを繰り広げ、最終的に池谷202回、きんに君201回と僅か'''1回差'''できんに君に勝利し、再び芸能人新記録を自らの手で塗り替えた。しかしSPIN OFF、POWER FORCEで[[酒井宏之]]と当たり両種目1回戦敗退に終わり、苦手種目でポイントが稼げず芸能人バトルでは最低の総合4位で終わった。
* 2005年10月に放送された『スポーツマンNo.1決定戦・第15回芸能人サバイバルバトル』では、王座奪回を目指しての登場となった。MONSTER BOX、QUICK MUSCLEでは[[片山敬太郎]]との壮絶な争いを演じた(結果は池谷が22段、212回、片山21段、204回)。最後はFINAL RUNできんに君に敗れた。
* [[2006年]]1月1日に放送された『スポーツマンNo.1決定戦・第12回プロスポーツマン大会』では、BURN OUT GUYS、BEACH FLAGS、MONSTER BOXで優勝し独走態勢となった。が、最後のSHOT-GUN-TOUCHの12m50の1回目の試技で足を攣るというアクシデントが発生。結局2回目も失敗した。最後は75p差をつけていたが[[宮﨑大輔]]に大逆転され、プロ初の2連覇という夢は幻に終わった。
* 2006年3月29日に放送された『スポーツマンNo.1決定戦・第16回芸能人サバイバルバトル』では、REVOLITIONで1回戦敗退、SPIN OFFでは1回戦で[[野村将希]]に敗れ、2種目終了時点で0Pの総合最下位と嘗てないほどの大ピンチに追われていた。MONSTER BOXでは11段を宙返りで成功させ、その後19段までパスを続け20段から試技を開始。21段までを1回目で成功させるも22段で2回とも失敗し、[[知幸 (モデル)|知幸]]と並んで記録21段でNo.1になるも暫定総合順位では7位と依然苦しい状況が続いていた。尚、池谷が芸能人大会で22段が失敗に終わったのは本大会のみである。QUICK MUSCLEでは初めて第3組で登場し、2組終了時点で暫定トップだった野村将希の記録157回を1分半で抜き、実況の[[小笠原亘]]アナも「追い込まれたときの池谷は、とんでもない力を発揮する」と述べるほどの超本気モードで回数を刻み、自身の記録222回を超え、芸能人新記録の'''231回'''を樹立。第4組のきんに君が前半からハイペースで猛追するも229回と池谷にあと2回届かず終わったためNo.1に輝き、暫定順位を3位に上げる。苦手とするTAIL IMPOSSIBLEでは意地で最終レース進出を果たし同種目で自身最高成績となる3位の最終順位を残した。SHOT-GUN-TOUCHでは1回目の試技を成功させるも、2回目と3回目の試技が失敗に終わり、きんに君・知幸の二人に敗れ総合3位に終わった。
* 2006年10月4日に放送された『スポーツマンNo.1決定戦・第17回芸能人サバイバルバトル』では、きんに君の4連覇を阻止する事が出来ず総合2位に終わったが、MONSTER BOXで'''自身3度目'''、4年9ヶ月ぶりの23段跳躍を見せ、号泣する姿が見られた。
* [[2007年]]1月1日に放送された『スポーツマンNo.1決定戦・第13回プロスポーツマン大会』では、BEACH FLAGS、MONSTER BOXに優勝し、総合3位。MONSTER BOXでは24段に挑戦した(3回目)。
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|
|}
 
== SASUKE ==
 
=== 大会別成績 ===
{| class="wikitable" border="1"
! rowspan="2" |大会
! rowspan="2" |ゼッケン
! colspan="3" |記録
! rowspan="2" |備考
|-
!STAGE
!脱落エリア
!備考
|-
|第2回
|90
|1st
|ぶら下がり丸太
|タイムアップ
|
|-
|第4回
|81
|3rd
|パイプスライダー
|2本目、最終地点
|100人中2位
|-
|第8回
|81
|1st
|ローリング丸太
|3回転目で落下
|
|-
|第9回
|61
|2nd
|ウォールリフティング
|挑戦前タイムアップ
|100人中5位
|-
|第10回
|961
|3rd
|クリフハンガー改
|1→2本目
|100人中2位
|-
|第11回
|61
|3rd
|クリフハンガー改
|1本目
|100人中4位
|-
|第12回
|81
|1st
|ロープクライム
|ゴール地点
|
|-
|第13回
|90
|3rd
|ボディプロップ
|2個目の空白
|100人中5位
|-
|第14回
|81
|3rd
|ボディプロップ
|1個目の空白後
|100人中10位
|-
|第15回
|90
|1st
|そり立つ壁
|タイムアップ
|
|-
|第16回
|90
|3rd
|ボディプロップ
|1個目の空白前
|1stはダイジェスト
|-
|第20回
|1985
|1st
|ジャンピングスパイダー
|対岸付近で落下
|
|-
|第21回
|93
|1st
|フライングシュート
|ロープを掴むも1回転し落下
|
|-
|第22回
|97
|1st
|そり立つ壁
|タイムアップ
|ダイジェスト
|-
|第24回
|90
|1st
|そり立つ壁
|タイムアップ
|
|-
|第26回
|87
|2nd
|ダブルサーモンラダー
|1→2基目 脱線
|日本人4位
|-
|第27回
|87
|2nd
|ダブルサーモンラダー
|1基目 2→3段目
|1st・2nd共にダイジェスト
|-
|第28回
|76
|1st
|ローリングエスカルゴ
|対岸付近で落下
|
|-
|第33回
|43
|1st
|ローリングヒル
|登りで落下
|事前番組で放送
|-
|第37回
|61
|1st
|ウイングスライダー
|開始直後に落下
|ダイジェスト
|}
 
=== 通算成績 ===
{| class="wikitable" border="1"
!出場数
!2nd進出
!3rd進出
!FINAL進出
|-
|21回
|9回
|6回
|0回
|}
 
* 2021年 第39回大会終了時
 
=== SASUKEトライアル(2004年) ===
{| class="wikitable" border="1"
! rowspan="2" |挑戦回数
! rowspan="2" |STAGE
! rowspan="2" |制限時間
! colspan="2" |記録
! rowspan="2" |順位
! rowspan="2" |クリア人数
|-
!結果
!備考
|-
|1回目
|1st
|80秒
|クリア
|21秒33残し
|4位
|15人
|}
 
=== 最速タイム ===
{| class="wikitable" border="1"
!大会
!STAGE
!制限時間
!残りタイム
!クリア人数
|-
|第11回
|1st
|85秒
|19.47秒
|11人
|}
 
== 特筆 ==
第39回大会終了時点で21回の出場経験があり、これは[[SASUKEオールスターズ]]以外の全出場者の中で最多記録タイである。また、歴代の芸能人出場者における1st STAGEクリアと2nd STAGEクリアの最多記録を持っている。
 
1度だけ1st STAGEで最速タイムを樹立してあり、芸能人で最速タイムをマークしたのは池谷とケインのみである。
 
芸能人で最初にボディプロップとクリフハンガーをクリアしている。
 
==最強スポーツ男子頂上決戦==
*第3回大会から出場。マウンテンフラッグ決勝進出、モンスターボックス優勝の活躍を見せるも、No.1候補と目されていたザ・フェンスでは手を滑らせて金網から離れてしまい失格。さらにパワーウォールとハードアンカーの初戦で[[関口メンディー]]と当たったことで、どちらも敗れ初戦敗退に終わり、スポマンでも過去最低の総合8位で脱落。
*第4回大会ではザ・フェンスで6位、プルズドライブ5位に入るも、ハードジャンパーの予選で[[横浜流星]]に敗退し、優勝候補筆頭のモンスターボックスでは今一つ調子が乗らず、前回の記録を下回る19段の記録に終わり、20段を記録した[[佐野岳]]に敗れ優勝を逃す。さらにパワーウォールでまたしても初戦でメンディーと当たってしまい初戦敗退を喫し、またも総合8位で脱落を喫した。
*第5回大会ではザ・フェンスで自身初の10秒台を叩き出して佐野岳に次いで2位となり、モンスターボックスでは2大会ぶりに20段を記録し優勝。ヘビープレスとハードジャンパーで予選敗退に終わるも、4種目終了時点で暫定総合3位。苦手としていたパワーウォールでは1回戦で同じ体重の[[永瀬匡]]に勝利し、初の1回戦突破を果たすなどの活躍で、暫定総合3位でスポダン史上最年長となる42歳での最終種目進出を果たした。スポマン時代に12m90cmの自己記録を持つショットガンタッチでは、1回目の試技から自己新記録となる13m00cmに挑むことになるが、ボールに触れられず失敗。パワーウォール終了時点順位変わらず総合3位の結果に終わるも、スポダンでは初の最終種目進出。そしてファイナリストにはスポマンの第17回芸能人サバイバルバトル以来となる実に9年ぶりのファイナリストとなった。
*第6回大会ではモンスターボックスでは前回の記録を1段下回る19段で終わってしまい、20段をマークした佐野と初出場で22段を記録した[[平野泰新]]の20代2人の後塵を拝す結果となった。前回予選敗退に終わったヘビープレスでは同組の若き新世代の前に最年長42歳の意地を見せ決勝進出を果たし4位につけたが、新種目ジャイアントクリフとハードジャンパーで予選敗退し、パワーウォール1回戦で[[野村将希]]の息子の[[野村祐希 (俳優)|野村祐希]]に敗れ、スポダンでは自身3度目となる総合8位で脱落となってしまった。
*48歳にして出場した第11回では、モンスターボックスでは会場に応援に来ていた奥様と2人の息子、そして現在は川崎競馬場でプロ騎手として活躍している長男からのビデオメッセージでの応援を胸に18段をマークし、ケイン・コスギ、森渉と並ぶ4位タイの成績を残す。しかしその後はクレイジーキャッスル、ヘビープレス、ハードジャンパーと3種目連続で予選敗退に終わり、ハードジャンパー終了時点で総合8位以内でパワーウォール進出のところ、205Pで総合11位となってしまい、自身初のパワーウォールに挑戦する前に脱落となってしまった。
 
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==主な出演==
===テレビ番組===
*TBS「[[筋肉番付]](TBS)
*TBS「[[体育王国]](TBS)
*TBS「[[最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦|スポーツマンNo.1決定戦]](TBS)
*TBS「[[SASUKE]](TBS)
*[[海筋肉王 〜バイキング〜]](2005年、フジテレビ)
*TBS「[[究極の男は誰だ!?最強スポーツ男子頂上決戦]]」
*[[究極の男は誰だ!?最強スポーツ男子頂上決戦]](TBS)
*TBS「[[水曜日のダウンタウン]]」
*[[クイズ☆スター名鑑]](TBS) ギリギリ有名人が逃走中のコーナーに出演。
*TBS「[[霜降りミキXIT]]」
*[[有吉反省会]](2015年、日本テレビ)
*フジテレビ「[[芸能人が本気で考えた!ドッキリGP]]」
*[[水曜日のダウンタウン]](TBS)
*日本テレビ「[[ワールド☆レコーズ]]」
*日本テレビ「[[有吉の壁]](2020年、日本テレビ)
*[[芸能人が本気で考えた!ドッキリGP]](2020年11月21日、フジテレビ)
*日本テレビ「[[有吉ゼミ]]」
*[[有吉の壁]](2020年、日本テレビ「[[ダウンタウンDX]]」)
*[[霜降りミキXIT]](2021年9月20日、TBS)
*びわ湖放送ほか「[[ゴールデンスロット]]」
*[[有吉ゼミ]](2022年、日本テレビ)
*[[ダウンタウンDX]](2022年、日本テレビ)
*[[ワールド☆レコーズ]](日本テレビ)
*[[ゴールデンスロット]](びわ湖放送)
*パチンコ・パチスロTV「[[スロ魂ビタ押し]]」、その他特番にも出演経験あり。