「クリフォード・D・シマック」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[チェコ人|チェコ系]]アメリカ人。[[ウィスコンシン州]]ミルビルで生まれる。[[ウィスコンシン大学マディソン校]]を中退し<ref name=yone>『宇宙からの訪問者』(東京創元社、1983年初版)巻末解説「SF界の最古参作家シマック」(米村秀雄)</ref>、[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]の様々な新聞社で働いた。1929年結婚し、2人の子をもうけた。作家デビュー作は1931年の ''The World of the Red Sun''<!-- たぶん未訳 --> で、[[ヒューゴー・ガーンズバック|ガーンズバック]]の「[[ワンダー・ストーリーズ]]」に掲載された<ref name=yone/>。1939年、[[ミネソタ州]][[ミネアポリス]]の ''[[:en:Minneapolis Star and Tribune|Minneapolis Star and Tribune]]'' で仕事をするようになり、その関係は1976年に引退するまで続いた。1949年にはミネアポリス・スター紙の記者となり、毎週『明日の世界』と題する科学コラムを執筆する一方でSF作家としても活動。1961年にはミネアポリス・トリビューンの ''Science Reading Series'' を担当するようになった。『再生の時』(1951) の宣伝文で「私は結婚33年目で、2人の子を持ち、幸福に暮らしている。休暇にはつりを楽しむ(ボート上にじっとしていて魚が寄ってくるのを待つだけ)。趣味はチェス、切手収集、バラを育てること」と書いている。この本は妻に捧げられており「彼女がいなければ一行も書けなかっただろう」としている。SF作家仲間にも好かれていて、特に[[アイザック・アシモフ]]と仲が良かった。1988年、ミネアポリスで死去<ref>[http://www.tc.umn.edu/~brams006/simak/biography.html Clifford Simak's Biography]</ref>。
 
== 作家としての経歴 ==
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[[Category:20世紀アメリカ合衆国の小説家]]
[[Category:アメリカ合衆国のSF作家]]
[[Category:アメリカ合衆国のファンタジー作家]]