「スタニスラフ・シュシケビッチ」の版間の差分

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シュシケヴィチは、CISの統合強化には消極的で、[[1992年]]5月CISの[[集団安全保障]]協定に調印することを拒否し、協定調印に積極的な最高会議と対立した。[[1993年]]4月ベラルーシ最高会議は、CIS集団安全保障協定への調印を圧倒的多数で決議したが、シュシケヴィチは再度調印を拒否し、議会と決定的な対立に至った。また、経済運営でも、独立後の深刻な生産力の低下と[[インフレーション|ハイパーインフレーション]]に見舞われ、経済危機が深刻化し、政権は弱体化していった。1994年1月最高会議議長を解任された。
 
[[1994年]]3月ベラルーシ最高会議は新[[憲法]]を採択し、[[大統領]]制を導入することとなった。シュシケヴィチは、1994年6月に行われた大統領選挙に立候補したが、[[検事]]出身の[[アレクサンドル・ルカシェンコ]]に敗れた。[[2011年]]現在、その語は[[野党]]「[[ベラルーシ社会民主会議]]」代表として活動してい
 
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