「正閏論」の版間の差分
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中国においては[[漢]]代に[[殷]]・[[周]]と続いた後の[[秦]]を正統とせず漢は周を受け継いだものとしたのが最初で、[[三国時代 (中国)|三国時代]]・[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]などの分裂期のたびに「どの王朝が正統でどの王朝が閏統であるか」が後世の歴史家によって議論された。「天に二日なく、地に二王なし」との「[[礼記]]」の記述から「本来[[皇帝]]はただ一人であるから、過去の複数の皇帝が居た時代においてもどれか一つの皇帝を正統として歴史書を記すべきである」という思想が支配的であったためにこのような議論が起こったもので、たとえば三国がともに皇帝を名乗った三国時代の歴史を書いた[[陳寿]]は、[[魏 (三国)|魏]]の皇帝のみを列伝ではなく本紀に収録し、その死も魏の皇帝のみに「[[崩御|崩]]」の文字を用いて魏を正統として扱っている。
最初に秦を正統としない議論が出たことでもわかるように、近代国家の正統政権についての議論とは異なり、分裂している時代に限った議論ではなく天下を統一したからといって正統と認められるとは限ら
=== 日本 ===
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