「ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス」の版間の差分

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[[1930年]]の大統領選挙で敗れるが、当時の政治腐敗などの不満を背景に、軍事クーデターを成功させて政権を掌握した。統一国家の建設を目標にサンパウロの反乱を鎮圧し<ref name="乗308" />、[[1934年]]に議会から認められて正式に大統領の座についた。中央集権的でファッショ色の強い新憲法を制定し、イデオロギーの国家統一を口実に共産党の反乱を鎮圧した<ref name="乗308" />。
 
[[1937年]]、大統領選挙を目前とする中で、再び軍事行動によって選挙を中止させると、議会も解散させて独裁政治を行った(この時期を[[エスタード・ノーヴォ]]体制(新国家体制)とも称する)。新国家の樹立にも力を尽くした極右政党のインテグ[[ブリスタ党ジル統合主義運動]]も解散させた<ref name="乗308" />。労働者の保護と規制による体制化、資源の国有化、有色移民の制限を規定した憲法によって、イタリアやドイツの全体主義に似た理念で自主外交の確立と統一国家の形成を目指した<ref name="乗308" />。
 
やがて経済的にも関係が深い[[アメリカ合衆国]]との協調路線を明らかにして、[[1942年]]に[[日本]]や[[ドイツ]]、[[イタリア]]に[[宣戦布告]]し、[[第二次世界大戦]]に参戦。1944年にはイタリア戦線に派兵した<ref name="乗308" />。ヴァルガスの独裁は第二次世界大戦中も続き、[[日系人の強制収容]]も行うが、終戦後の[[1945年]][[10月]]末に軍事クーデタが起こり失脚した。しかし同じ年のうちに上院議員に選出された<ref name="乗308" />。