「エリック・ホッファー」の版間の差分

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[[1941年]]より、[[サンフランシスコ]]で[[沖仲仕]]として働き始める。[[1951年]]に最初の著書『{{仮リンク|大衆運動|en|The True Believer}}』を上梓。沖仲仕の仕事のかたわら執筆活動を続けたことから、「沖仲仕の哲学者」と呼ばれるようになる。[[1964年]]にカリフォルニア大学バークレー校の[[政治学]]研究教授になったが、沖仲仕の仕事は65歳になるまでやめなかった。また、沖仲仕を含む港湾労働者の[[労働組合]]幹部を長く続けていた。ホッファーは「沖仲仕ほど自由と運動と閑暇と収入が適度に調和した仕事はなかった」と述懐している。バークレーでは週に一度のオフィスアワーを持ち、[[1972年]]まで続けた。
 
[[1967年]]に[[CBS]]で放送された[[エリック・セヴァライド]]との対談番組が、全米各地で大きな反響を呼んだ。[[再放送]]も人気だったことから、以来年に一度出演した。[[ベトナム戦争]]に際しての[[良心的兵役拒否|兵役拒否]]、[[ヒッピー]]、[[マリファナ]]、[[学生運動]]の時代である[[1970年代]]になると、ある種の知的カリスマとして高い知名度を持つにいたった<ref>(保守系知識人として異色の経歴といえる)[[ホーボー]]として生活した前半生が影響したものと思われる。アメリカにおいては(たとえば、[[ホームレス]]と異なり)ホーボーという言葉を肯定的に捉える傾向がある(同項目参照)。</ref>。だが、ホッファー自身はヒッピーを「甘やかされた子供」と捉え、ヒッピーと対照的な立場とされている[[:en:Square (slang)|スクウェア]](一般的な意味とやや異なり、本人は[[ブルーカラー]]のような勤労青年を指して呼んだ)を支持していた。また、ホッファーはベトナム戦争を肯定的に評価していた。
 
[[1983年]][[2月]]、当時の大統領[[ロナルド・レーガン]]は[[大統領自由勲章]]を送った。同年5月、老衰のため、80歳でその生涯を終えた。