「シャラヴィン・ゴンガードルジ」の版間の差分

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1935年[[ドルノゴビ県]][[イフヘト]]地区に生まれる。[[モスクワ]]に留学し、[[1959年]]ソ連農業アカデミー(現在の[[ロシア農業大学・モスクワ農業アカデミー|ロシア国立農業大学・クリメント・チミリャーゼフ名称モスクワ農業アカデミー]]を卒業する。帰国後は、モンゴル人民革命党中央委員会でいくつかのポストを経て、[[1967年]]から[[1968年]]まで、農業次官を務めた。[[1980年]]国営農場第一次官。[[1981年]][[セレンゲ県]]党委員会[[第一書記]]。[[1986年]]農業大臣に任命される。また、この間、セレンゲ県から[[人民大会議]]代議員に選出されたほか、人民大会議幹部会議長(国家元首)顧問も務めた。
 
[[1987年]]から[[1990年]][[3月21日]]まで、閣僚会議副議長([[副首相]])兼農業・食糧産業([[食品工業]])相。[[1989年]]から1990年にかけて行われた[[モンゴル民主化運動]]により、[[1990年]][[3月21日]]、[[ドゥマーギーン・ソドノム]]首相をはじめ党政治局員が辞任した<ref>アラン・J.K.サンダース、『モンゴル歴史辞典』1996年、ISBN 0-8108-3077-9.</ref>が、9月まで自由選挙に向けた暫定政権を率いた。
 
[[1992年]][[モンゴルと北朝鮮の関係#駐北朝鮮モンゴル大使|駐北朝鮮大使]]。その後、駐[[カザフスタン]]大使。[[2000年]]から[[2004年]]まで、[[国民大会議]]代議員。国民大会議では環境・農村開発常任委員長を務めた。[[1997年]]から「アグロプロ」社総支配人。