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'''宣宗'''(せんそう、[[820年]]-[[859年]]([[大中]]13年)、在位は[[846年]]-859年)は、[[唐]]の第十六代[[皇帝]]。第十一代皇帝・[[憲宗 (唐)|憲宗]]の十三男で、第十二代皇帝・[[穆宗 (唐)|穆宗]]の弟であり、第十五代皇帝・[[武宗 (唐)|武宗]]の叔父に当たる。姓は李、
[[Image:Tangxuanzong.jpg|200px|right|宣宗肖像]]
==生涯==
皇帝としての能力は聡明で、衰退した唐を再建するために[[裴休]]らを起用して内政に力を注いだ。[[李徳裕]]の一党を左遷し、[[牛僧孺]]らを抑えるなど重臣による派閥闘争(牛李の党争)や宦官の抑制、さらには武宗時代に出された廃仏令([[会昌の廃仏]])を棄却し、仏教勢力に保護を与えるなど、その治世には一定の成果を収めている。また、宦官に対しては穏健な抑制政策を取って勢力の削減を図った。
しかし、晩年に入って[[道教]]を狂信するようになり、不老長寿を求めるようになった。そして859年、不老長寿の薬を誤用して死去したという。齢51。
宣宗は、その治世に一定の成果を挙げたため、'''小太宗'''と呼ばれているが、戦乱のために実録が失われたためにその業績の詳細は不明である。
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