「マリー・ド・ブルボン=モンパンシエ」の版間の差分

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| 子女 = [[アンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアン|アンヌ・マリー・ルイーズ]]
| 家名 = [[ブルボン家|ブルボン=モンパンシエ家]]
| 父親 = モンパンシエ公[[アンリ (モンパンシエ公)|アンリ・ド・ブルボン]]
| 母親 = {{仮リンク|アンリエット・カトリーヌ・ド・ジョワイユーズ|en|Henriette Catherine de Joyeuse}}
| 役職 =
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== 生涯 ==
モンパンシエ公[[アンリ (モンパンシエ公)|アンリ・ド・ブルボン]]の唯一の子供として生まれた。1608年に父が死去するとブルボン=モンパンシエ家の相続人となり、モンパンシエ令嬢(Mademoiselle de Montpensier)と呼ばれた。母{{仮リンク|アンリエット・カトリーヌ・ド・ジョワイユーズ|en|Henriette Catherine de Joyeuse}}はその後、1611年に[[シャルル1世 (ギーズ公)|ギーズ公シャルル1世]]と再婚した。
 
マリーは2歳の時にフランス王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]の次男の[[ムッシュ・ドルレアン|オルレアン公]]と婚約したが、オルレアン公は1611年に夭逝した。次いでその弟で新たにオルレアン公となった[[ガストン (オルレアン公)|ガストン]]と婚約した。