「WD シュレッパー」の版間の差分

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[[歩兵]]に追従して[[火力支援]]を行うことが可能な重火砲として開発された、二人乗りの自走砲で、[[砲兵]]によって運用された。後の[[突撃砲]]の先駆と言える。
 
== 各型 ==
 
「WD シュレッパー」と呼ばれる車両には、2種類が存在した。
 
それぞれ1両ずつ、計2両が試作され、[[ソビエト連邦]]領内[[カザン]]近郊の、「カマ戦車兵学校」試験場で試験・研究された。
 
=== 3.7 cm WD シュレッパー 25 馬力 ===
一つは、[[ハノマーグ|ハノマーク社]]製の25 馬力の「WD 25」牽引車の[[シャーシ]]に、「[[3.7 cm PaK 36|3.7 cm TaK28 L/45 対戦車砲]]」を搭載した「3.7 cm WD シュレッパー 25 馬力」である
 
シャーシの上に据え付けられた主砲は、前面を防盾で覆われた限定旋回式で、左右に30度ずつ振ることができた。自衛用火器として[[機関銃]]も搭載された。
 
自衛用火器として、[[機関銃]]も搭載された。
 
[[1928年]]には、主砲を、より長砲身の「[[3.7 cm PaK 36|3.7 cm PaK L/65 対戦車砲]]」に換装し、「3.7 cm PaK L/65 LHB-牽引車自走砲(シュレッパー ゼルプストファールラフェッテ)」と名付けられた。
 
=== 7.7 cm WD シュレッパー 50 馬力 ===
もう一つは、ハノマーク社製の50 馬力の「WD 50(WD Z 50)」牽引車のシャーシに、「[[7.7cm FK 96 nA|7.7 cm-FK 96 nA L/23 軽野砲]]」を搭載した「7.7 cm WD シュレッパー 50 馬力」である
 
シャーシの上に据え付けられた防盾付の主砲は、全周旋回式であった。自衛用火器として、主砲の左側に[[MG08重機関銃|MG08 7.92 mm重機関銃]]も搭載された。
「WD 50」牽引車は、1920年から1931年までの期間、製造され、好評を博した。ソ連でも「Kommunar(クモナール)」の名称で生産された。
 
シャーシの上に据え付けられた防盾付の主砲は、全周旋回式であった。
 
自衛用火器として、主砲の左側に、[[MG08重機関銃|MG08 7.92 mm重機関銃]]も搭載された。
 
== WD牽引車を基にした装輪装軌併用式戦車 ==
[[ファイル:Mátyásföld, Újszász utca 41-43. Magyar Királyi Honvéd gépkocsiszertár, előtérben Hanomag Z50 típusú lánctalpas traktor, mellette Hofherr-Schrantz-Clayton-Shuttleworth KV-40 típusú traktor. Fortepan 72453.jpg|thumb|right|303px|WD 50 牽引車]]
7.7 cm WD シュレッパーの基体である「WD 50」牽引車は、1920年から1931年までの期間に渡り製造され、好評を博した。ソ連でも「Kommunar(クモナール)」の名称で生産された。
 
1920年代は、戦車の機動性向上の試みの一つとして、装輪装軌併用式戦車(コンバーチブルドライブ車)の開発が、欧米各国で流行した時代でもあった。[[ヴェルサイユ条約]]により、戦車の開発を禁じられたドイツでは、多くの戦車技術者が職に就けなくなり、他国へと渡った。[[ヨーゼフ・フォルマー]]もその一人であった。
== WD牽引車を基にした装輪装軌併用式戦車 ==
1920年代は、戦車の機動性向上の試みの一つとして、装輪装軌併用式戦車(コンバーチブルドライブ車)の開発が、欧米各国で流行した時代でもあった。
 
[[ヴェルサイユ条約]]により、戦車の開発を禁じられたドイツでは、多くの戦車技術者が職に就けなくなり、他国へと渡った。[[ヨーゼフ・フォルマー]]もその一人であった。
 
戦車の機動性向上に関心のあった彼は、戦後、[[チェコスロバキア]]へと渡り、1924年にハノマーク社製「WD 50」牽引車を基に、「KH-50 装輪装軌併用式戦車」を開発した。チェコスロバキアは、「WD 50」のライセンス生産を、1923年から開始していた。
 
「WD 50」のエンジンを後方に、操縦席を前方に、移設し、装輪走行に移行するには、木製のスロープ上に本車を乗り上げて、地面から浮かせた後、シャーシの両側面に、片面2つずつ、計4つの車輪を手で取り付ける方式であった。
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チェコスロバキアにおける装輪装軌併用式戦車の開発計画は、後に、「中型複合サスペンション攻撃車」(Kombinovaný střední útočný)計画へと発展して、1935年まで続き、「[[シュコダ S-III]] 戦車」と「[[タトラ T-III]] 戦車」が開発された。
 
== 外部リンク ==
* [http://catainium.blogspot.com/ Catainium's Tanks ]
** [http://catainium.blogspot.com/2016/06/wd-25-gun-carrier.html WD-25 Gun Carrier]
** [http://catainium.blogspot.com/2016/06/wd-50-gun-carrier.html WD-50 Gun Carrier ]
 
{{戦間期の戦車}}