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特殊陶器、精密特殊磁器に注目し、製品化することにより事業を拡大、[[1944年]]10月、村田製作所を創業する。
 
 [[1950年]]、法人化の後、[[京都大学]]との「産学協同」で[[チタン|酸化チタン]][[コンデンサ]]の開発に成功[[セラミックス|セラミック]][[半導体]]や通信機用フィルタを次々に開発し、通信機や[[テレビ]]向けなどの[[電子部品]]事業を拡大、チタンコンデンサの主力メーカーとして一大シェアを掌握した。また、[[1960年]]代に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のGMより受注を受けるなどいち早く海外進出し、[[1973年]]には[[日本]]の電子部品メーカーで初めてとなるアメリカ合衆国内に工場を設立した。京都を代表する大企業の創業者として活躍するした。これだけの実業家でありながら、財政界にはほとんど顔を出さず、本業一本で自身の生涯を全うしたことを、高く評価する向きもある
 
 [[1991年]]、70歳になったのを機に、長男の[[村田泰隆]]に社長を譲り会長に就任、また、[[1995年]]からは名誉会長に就任し、その間[[日本電子材料工業会]]会長など歴任した。
 
 なお、セラミック業界への多大な貢献から、[[1998年]]にアメリカ合衆国セラミックソサエティーの名誉会員称号を受賞している。
 
 2006年2月3日、[[肺炎]]のため京都市内の病院で死去。享年84。