「キルデベルト1世」の版間の差分

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511年に父の死に伴い、3人の兄弟とともに遺領を分割相続し、パリ王国を受け取った。パリ王国は[[ソンム川]]と[[ロワール川]]の間に挟まれた地域を領土としており、[[ブルターニュ]]、[[ノルマンディー]]、[[ブリー]]の諸地方および[[アキテーヌ]]地方西部から構成されていた。
 
523年、キルデベルトと同腹の兄弟たちは、母の教唆で[[ブルグント王国]]を攻めた。この戦争中に兄の[[オルレアン]]王[[クロドメール]]が戦死すると、キルデベルトと弟の[[ソワソン]]王[[クロタール1世 (フランク王)|クロタール1世]]は、クロドメールの幼い遺児たちから王国を横取りしようと企んだ。キルデベルトが母クロティルデに引き取られていた甥たちをおびき出し、クロタールが2人の甥を自らの手で刺殺した<ref>{{Cite book|和書|author=ジュール・ミシュレ|year=2016|title=フランス史【中世】I|publisher=論創社|pagespage=P.209}}</ref>。キルデベルトは弟とオルレアン王国を折半し、領土を拡げた。
 
531年、妹[[クロティルダ (西ゴート王妃)|クロティルデ]]と夫の[[西ゴート王国|西ゴート王]][[アマラリック]]との不和を知ったキルデベルトは、アマラリックを攻めて彼を[[ナルボンヌ]]で破っている<ref>{{Cite book|和書|author=トゥールのグレゴリウス|year=2007|title=フランク史|publisher=新評論|pagespage=P.115}}</ref>。
 
キルデベルトと弟クロタールは532年に2度目のブルグント遠征を開始し、534年にブルグント王[[ゴドマール2世]]を敗死させ、ブルグントを[[フランク王国]]領に併合した。キルデベルトはブルグントの一部と[[プロヴァンス王国|プロヴァンス]]を獲得し、その領土は一気に拡大した。
キルデベルトは[[ゴート族]]出身と思われるウルトゥロゴータ(Ulthrogotha)と結婚し、2人の娘クロドシンダ(Chrodosinda)とクロドベルガ(Chrodoberga)をもうけたが、男子には恵まれなかった。このため相続人がいないまま558年に死去し、弟のクロタール1世が領土を継承した。妻と娘はクロタールによって[[宮廷]]を追われた。
 
キルデベルト1世は自らが建立したパリの聖ヴァンサン[[修道院]](後に[[サン=ジェルマン=デ=プレ教会|サン=ジェルマン=デ=プレ修道院]])に葬られた<ref>{{Cite book|和書|author=[[ピエールP・シャンピオン|Pauthorlink=ピエール・シャンピオン]]|year=1992|title=わが懐かしき街|publisher=図書出版社|pagespage=P.57}}</ref>。この修道院はその後、[[メロヴィング朝|メロヴィング家]]の霊廟に定められたので、キルデベルトは同修道院に埋葬された王家の最初の人物となった。彼の妻と娘たちに関しては567年以降の消息は不明である。未亡人ウルトゥロゴータも、死後に夫と同じ修道院に埋葬されている。
 
== 脚注 ==
112,024

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