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== 歴史 ==
1960年5月、女王[[エリザベス2世]]の妹[[マーガレット (スノードン伯爵夫人)|マーガレット王女]]は新進気鋭の写真家[[アンソニー (スノードン伯爵)|アンソニー・アームストロング=ジョーンズ]]と結婚した<ref name=":1">{{Cite book|和書|author=[[君塚直隆]]|authorlink=君塚直隆|year=2020-2|title=エリザベス女王 史上最長・最強のイギリス君主|publisher=[[中央公論新社]]|isbn=978-4121025784|ref=君塚 2020|page=77}}</ref><ref name=":12">{{Cite ODNB|id=|title=Jones, Antony Charles Robert [Tony] Armstrong-, first earl of Snowdon and Baron Armstrong-Jones|last=Weight|first=Richard|url=https://www-oxforddnb-com.wikipedialibrary.idm.oclc.org/view/10.1093/ref:odnb/9780198614128.001.0001/odnb-9780198614128-e-90000380163?rskey=eQ3og7&result=1}}</ref>。この際に、爵位を持たない平民出身であったアンソニーは貴族に叙せられる運びとなった。翌年の[[1961年]][[10月6日]]、アンソニーは[[連合王国貴族]]として'''スノードン伯爵'''{{Fontsize|small|(Earl of Snowdon)}}及び'''サセックス州ナイマンズのリンリー子爵'''{{Fontsize|small|(Viscount Linley, of Nymans in the County of Sussex)}}を授けられた<ref>{{London Gazette|issue=42481|date=6 October 1961|page=7199}}</ref><ref name=":0">{{Cite web |title=Snowdon, Earl of (UK, 1961) |url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/snowdon1961.htm |website=www.cracroftspeerage.co.uk |accessdate=2022-04-10}}</ref>。アンソニーの父が[[ウェールズ]]にルーツがあったことから、爵位名はウェールズの最高峰[[スノードン山]]より採られた<ref name=":12" />。その後アンソニーは王女と離婚して王室を離れたが、引き続き爵位を保持した<ref name=":12" />。
 
その後マーガレットの姪である[[アン (イギリス王女)|プリンセス・ロイヤル・アン]]の二度の結婚においてどちらの夫も爵位を受けなかった。また従妹の[[アレクサンドラ (レディ・オギルヴィ)|アレクサンドラ王女]]も{{仮リンク|エアリー伯爵|en|Earl_of_Airlie|label=エアリー伯爵家}}のヤンガーソンと結婚したものの、夫は次男であるため爵位を持たず、また新たな爵位も求めなかった。[[2018年]]にマーガレットの大姪、姉のエリザベス女王の孫[[ユージェニー・オブ・ヨーク]]がジャック・ブルックスバンクと結婚した時にも爵位を求めず「ジャック・ブルックスバンク令夫人ユージェニー王女」となった。このため、称号の無い王族の配偶者に爵位を与えるという事例は、スノードン伯爵が最後となっている{{#tag:ref|スノードン伯爵叙爵以降に臣民に与えられた世襲の爵位は、1960年代前半のいくつかの子爵・男爵・準男爵位の他は、元首相の[[ハロルド・マクミラン]]に与えられた[[ストックトン伯爵|ストックトン伯爵位]]のみである。準男爵まで範囲を広げても、1960年代半ば以降は[[マーガレット・サッチャー]]の夫[[デニス・サッチャー]]が[[サッチャー準男爵]]に叙された事例を数えるしかない。臣民への叙爵は主に[[1958年]]の[[一代貴族法]]に伴う[[一代貴族]]への叙爵に移行している。|group="注釈"}}。