「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」の版間の差分

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[[画像:PortaaEst.jpg|thumb|160px|『天国への門』]]
 
この洗礼堂は[[ロレンツォ・ギベルティ]]による東側の扉([[1452年]]完成)が特に有名であり、後に[[ミケランジェロ・ブオナローティ|ミケランジェロ]]が「[[天国への門]]」と呼んで賞賛したことから主にこの名で呼ばれる<ref>{{Cite book|和書 |author = [[宮下規久朗]]|authorlink=宮下規久朗 |year = 2013 |title = 欲望の美術史 |publisher = [[光文社]] |page = 136 |isbn = 978-4-334-03745-1}}</ref>。現在設置されている扉はレプリカで、本物はドゥオーモ付属博物館に所蔵されている。
 
[[1401年]]、北側の扉の製作者公募が公告された。これはコンクール形式で製作者が選ばれた最初の例といわれており、7人の技師や芸術家が応募した。最後にロレンツォ・ギベルティと[[フィリッポ・ブルネレスキ]]が選に残り、ギベルティが選ばれたとも、ギベルティとの共同制作をブルネレスキが辞退したとも伝えられている。<!--ブルネレスキはコンクールを境にローマへ赴いて建築を学び、後に建築家として大聖堂のクーポラの設計を行った。-->このコンクールはルネサンス美術の幕開けのひとつとしてよく語られている。北側の扉は[[1403年]][[11月23日]]に制作の契約が行われ、[[1424年]][[4月19日]]に東側入口に設置されたが、「天国への門」の完成に伴い、1452年に北側に移設されて現在に至る。