「広州湾租借地」の版間の差分

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==変遷==
 
フランスは広州湾の中心地にバイヤード要塞(Fort Bayard)を築き、イギリスの[[香港]]に相当する対中貿易・投資の拠点とした。1940年[[第二次世界大戦]]によってパリが独軍に陥落し、フランスが[[シャルル・ド・ゴール|ド・ゴール]]将軍の[[自由フランス]]と[[フィリップ・ペタン]]元帥の[[ヴィシー政府]]に分裂すると、中華民国は自由フランス亡命政府と外交関係を樹立したため、広州湾租借地は自由フランスの管轄下に入った。しかし、日本は1943年ヴィシー政府との間に「広州湾共同防衛協議」を締結してこの地域を占領、広州湾租借地は日仏共同管理下に置かれた。自由フランス政府や中華民国政府はこれに関知しておらず、1945年8月日本が無条件降伏すると直ちにフランス政府は広州湾租借地を中華民国に返還、中国はこの地を湛江市と改称した。
 
==現在==