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'''ジョヴァンニ・ボッカッチョ'''({{Lang-it-short|'''Giovanni Boccaccio'''}}, [[1313年]][[6月16日]] - [[1375年]][[12月21日]])は、中世[[イタリア]]、[[フィレンツェ]]の[[詩人]]、散文作家、[[ルネサンス|イタリアルネサンス]]期の[[ヒューマニズム|ヒューマニスト]](人文主義者)。
 
フィレンツェ商人の父と名もなき[[フランス]]女性との間に私生児として生まれたとされるが、出生地は不明であり、[[チェルタルド]]や[[パリ]]とする説もある。なお、ボッカッチョの父はすぐに彼を認知する。
 
ボッカッチョはフィレンツェで成長し、家庭教師であるジョヴァンニ・ディ・ドメニコ・マッツオーリ・ダ・ストゥラーダによって早くから[[ダンテ・アリギエーリ|ダンテ]]の作品を学んでいたと言われている。
 
代表作は[[1349年]]から[[1351年]]に書かれた『[[デカメロン]]』(十日物語)。初期の作品には『女神ディアーナの狩り』([[1334年]]頃)、『フィローストラト』([[1335年]]頃)、『フィローコロ』(1336年頃)などがあり、[[ナポリ]]からフィレンツェに帰国した時期の作品には『テーセウス物語』([[1340年]] - [[1341年]])、『愛の幻想』([[1342年]] - [[1343年]])、『フィアンメッタ悲歌』([[1343年]] - [[1344年]])、『名婦列伝』([[1361年]] - [[1362年]])、『異教の神々の系譜』([[1350年]] - [[1375年]]頃)がある。
 
ダンテの50歳ほど年下であるが、最も早いダンテの理解者、賛美者であった。'''戯曲'''(Commedia)とのみ題されていたダンテの叙事詩に'''神聖なる'''(Divina)の冠辞を付け、『[[神曲]]』の名を定着させたのはボッカッチョである<ref>[http://commedia.jakou.com/ 『神曲』図解 Dante La Divina Commedia]</ref>。
 
また、[[ペトラルカ]]とは親交が深く<ref>近藤恒一編訳『ペトラルカ=ボッカッチョ往復書簡』([[岩波文庫]]、2006年)に詳しい。</ref>、互いに研鑽し合い、その創作活動は[[ルネサンス|リナッシメント]](イタリア・ルネサンス)の先駆けにもなった。
 
== 脚注 ==
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{{Italia-storia-stub}}
{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:ほつかつちよ しようあんに}}
[[Category:ジョヴァンニ・ボッカッチョ|*]]
[[Category:イタリアの詩人]]
[[Category:14世紀の詩人]]