「リンブルク兄弟」の版間の差分

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== 生涯 ==
兄弟の祖父はヨハンネス(Johannes de Lymborgh)といい、おそらく[[{{仮リンク|ランブール]] (ベルギー)|label=ランブール|fr|Limbourg}}(現在の[[ベルギー]]・[[リエージュ州]]の町)から[[ゲルデルン公|ヘルレ公国]]の首都ナイメーヘンへ移ったとされる。ヨハンネスの息子アルノルトは公国の宮廷で、木彫り職人として働いていた。1385年頃、アルノルトは公家お抱え画家の、申し分ない一族の出身の妻メヒテルトを娶った。ヘルマン(1385年頃生まれ)が長男で、続いてポル(フランス語の文献ではPolleke、Polequinという記載もある。1386年か1387年生まれ)、ヨハン(1388年頃生まれ。フランス語の文献ではJohanneke、Jacquemin、Gillequinとも記載あり)が生まれた。さらにその下には弟ルトヘル(Rutger)とアルノルト(Arnold)、妹グレタ(Greta)がいた。
 
1398年頃、父アルノルトが亡くなり、兄弟は、当時のフランスとブルゴーニュ宮廷で最も重要な画家、叔父[[ジャン・マルエル]]によって送り出された。ヘルマンとヨハンは、[[パリ]]で金細工工芸を学んだ。1399年終わりに彼らはナイメーヘンへ戻ったが、その頃戦争に巻き込まれていた[[ブリュッセル]]で捕らえられてしまった。兄弟の母は身代金を払えなかった。地元の[[金細工師]][[ギルド]]が彼らの身代金にあてるため金を集め始めたが、すぐにブルゴーニュ公[[フィリップ2世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ豪胆公]]が、お抱え画家である彼らの叔父ヤンに免じて身代金を支払った。2人の少年たちは1400年5月に解放された。