「武王 (周)」の版間の差分

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武王は[[夏 (三代)|夏]]の[[禹]]・殷の[[天乙|湯王]]・父の[[文王 (周)|文王]]と並び[[聖人|聖王]]として後世に崇められている。また、[[道教]]においては武王を[[太上道君|霊宝天尊]]の化身とする場合もある。
 
== 後世の評価 ==
[[李氏朝鮮]]の初代国王[[李成桂]]は[[1392年]]、[[明]]が[[冊封]]した[[高麗王]]の[[王禑|{{Lang|ko|禑}}王]]、[[王昌 (高麗王)|昌王]]と[[恭譲王]]を廃位して高麗王位を簒奪して高麗王を称した後、すぐに[[明]]に使節を送り、[[権知高麗国事]]としての地位を認められたが、[[朱元璋|洪武帝]]は王朝が交代したことで、国号を変更するよう命じた。これをうけた李成桂は、「[[朝鮮]]」と「[[和寧]]」の二つの候補を準備し、洪武帝に選んでもらった<ref name="#1">{{Harvnb|矢木毅|2008|p=43}}</ref>。洪武帝は、むかし[[前漢]]の[[武帝 (漢)|武帝]]に滅ぼされた王朝([[衛氏朝鮮]])の名であり、[[平壌直轄市|平壌]]付近の古名である「朝鮮」を選んだ。新王朝が擬定した「朝鮮」の国号は、武王が朝鮮に[[箕子]]を封じ、朝鮮で民を教化した[[箕子朝鮮]]の継承を意図する意図があり<ref>{{Harvnb|矢木毅|2008|p=45}}</ref>、首都が[[漢城府|漢陽]]に置かれたのは、箕子朝鮮の舞台であるためである。朝鮮という国名は、[[殷]]の賢人[[箕子]]が、武王によって朝鮮に封ぜられた故事に基づく由緒ある中国的な呼称であるため<ref>{{Harvnb|矢木毅|2008|p=41}}</ref>、洪武帝は、新王朝が箕子の伝統を継承する「忠実な[[従属国|属国]]」となり、自らは箕子を朝鮮に封じた武王のような賢君になりたいと祈念した<ref>{{Harvnb|矢木毅|2008|p=44}}</ref>。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 参考文献 ==
* {{Cite news|author=[[矢木毅]]|date=2008-12|title=近世朝鮮時代の古朝鮮認識 |format=PDF|newspaper=東洋史研究|publisher=[[東洋史研究会]]|url=http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/152116/1/JOR_67_3_402.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200813101308/https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/152116/1/JOR_67_3_402.pdf |archivedate=2020-08-13|ref={{Harvid|矢木毅|2008}}}}
 
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