「砺波平野」の版間の差分

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==地理==
[[Image:Aerial_photograph_of_Dispersed_settlement_in_Tonami_plain.jpg|thumb|180px|砺波市野村島付近 1975年度撮影{{国土航空写真}}]]
南に[[飛騨高地]]を控え、[[小矢部川]]及び[[庄川]]の[[扇状地]]が発達している。
 
[[村落|散居村]]で有名である。散居の各家は「カイニョ」と称する屋敷林を備える。漢字でかくと垣饒(かきにょう)がなまったもので、垣のようにめぐらせた樹木である。これにはいくつかの目的がある。①風雨から家屋を守るため、②外から屋敷内が見えないようにする目隠しのため、③焚き木を自前で調達するため、④冬暖かく、夏涼しく生活するためだといわれている。なぜ各家が離れているのか諸説があるが、北海道の屯田兵の村と同じ理由が考えられる。開墾や耕作の作業にはそのまわりに居住していると便利であったためである。「荒れ野の所々に小屋を掛け、用水を引き、開作」と記した古文書が残っている。戦国時代末期から、江戸時代中期にかけて砺波平野の水田開拓が進んだのは、加賀藩の様々な奨励策が奏効したと考えられている。中でも「開墾した田畑は藩主に属すが、開墾した百姓にはその田畑を自前で耕作することを許された」ことが住居が散在した大きい要因と考えられている。
 
 
==昭和天皇による和歌 ==