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マイネッケは18、19世紀ドイツの知性や文化の歴史的背景を論じた。1907年に出版された『Weltbürgertum und Nationalstaat』(邦題『世界市民主義と国民国家』)のなかで、一見普遍的に見える世界市民的思想が民族的、国家的関心と深い関わりをもっていることを明らかにした。代表作『Die Idee der Staatsräson』(邦題『近代史における国家理性の理念』)をはじめとして、彼の関心は[[近代]]的な国家理性(今日的に言えば「[[国益]]」)と個人の[[道徳]]意識との乖離に向けられている。
 
マイネッケは政治的には[[ヴァイマル共和国|ヴァイマル体制]]支持派で、1930年に組閣した[[超然内閣]]の[[ハインリヒ・ブリューニング|ブリューニング]]は彼の生徒であった。また1932年の[[大統領]]選挙では[[パウル・フォン・ヒンデンブルク|ヒンデンブルク]]を支持した。[[カール・シュミット]]は『ヴァイマール・ジュネーヴ・ヴェルサイユとの対決』において、自身が批判する現状のヨーロッパ公法の御用思想家としてマイネッケを批判している。また[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]に批判的であったことから、[[国粋主義]]的なヘーゲル思想復興の風潮が著しかった当時の思想界からは理解されなかった。
 
==年譜==