「カウシャーンビー」の版間の差分

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カウシャーンビーで発見された最古期の城壁は紀元前7世紀にさかのぼると考えられる。6世紀に[[エフタル]]の{{仮リンク|トラマーナ|en|Toramana}}による侵略によって破壊されたらしい<ref>水谷訳(1999) p.230</ref>。
 
[[プラーナ文献]]の一部は、[[クル国]]のジャナメージャヤ([[アルジュナ]]の孫)から4代目の王のときに首都の{{仮リンク|ハスティナープラ|en|Hastinapur}}が[[ガンジス川]]の洪水で被害を受けたためにカウシャーンビーに遷都したとするが、ハスティナープラとカウシャーンビーでは離れすぎている<ref>Pargiter (1922) p.285</ref>。
 
[[ウダヤナ]]王の時代、カウシャーンビーは交通の要地であり、商業が発達していた。[[パーリ仏典]]によれば、[[祇園精舎]]と同様に、裕福な商人であるゴーシタ、クックタ、パーヴァーリカの3人は[[安居]]のための施設を作って仏陀を招いた<ref name="ghositarama"/>。