「ワレラン1世・ド・リュクサンブール=リニー」の版間の差分

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| 家名 = [[ルクセンブルク=リニー家]]
| 父親 = [[ルクセンブルク君主一覧|ルクセンブルク伯]][[ハインリヒ5世 (ルクセンブルク伯)|ハインリヒ5世]]
| 母親 = [[マルグリット・ド・バル]]
| 役職 =
| 宗教 =
 
== 生涯 ==
[[ルクセンブルク君主一覧|ルクセンブルク伯]][[ハインリヒ5世 (ルクセンブルク伯)|ハインリヒ5世]]とその妻で[[バル公領|バル伯]][[アンリ2世 (バル伯)|アンリ2世]]の娘である[[マルグリット・ド・バル]](1220年 - 1275年11月23日)の間の息子として生まれた。兄[[ハインリヒ6世 (ルクセンブルク伯)|ハインリヒ6世]]が父の後を継いだため、ワレランは母方から相続したリニーの領主となった。{{仮リンク|ボールヴォワール|en|Beaurevoir}}の領主マチュー2世の娘で相続人のジャンヌ・ド・ボールヴォワール(1300年没)と結婚し、2男4女をもうけた。息子の1人[[ワレラン2世・ド・リュクサンブール=リニー|ワレラン2世]](1275年 - 1354年)が父の後を継いでリニー領主となった。
 
[[ブラバント公国|ブラバント公家]]とヘルレ(ゲルデルン)伯家のリンブルフをめぐる係争({{仮リンク|リンブルフ継承戦争|en|War of the Limburg Succession}})ではヘルレ陣営につき、1288年の{{仮リンク|ヴォリンゲンの戦い|en|Battle of Worringen}}で兄ハインリヒ6世とともに戦死した。ワレランは[[トルバドゥール]]・{{仮リンク|ジャック・ブルテル|en|Jacques Bretel}}の叙事詩「ショヴァンシーのトーナメント(Le Tournoi de Chauvency)」に登場する主要なキャラクターの1人でもある。