「陸奥部屋」の版間の差分

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その後、12代井筒は1974年4月に年寄名跡を返上して7代陸奥を襲名し、同時に部屋の名称も'''陸奥部屋'''へと改称した。
 
7代は1991年(平成3年)2月に定年(停年)を迎え、それに伴い、その直前となる同年1月場所限りで部屋の所属関取で、11代井筒時代に井筒部屋に入門した[[星岩涛祐二|星岩涛]]が現役を引退し、同年2月に年寄・8代陸奥を襲名して部屋を継承した。8代が師匠を務めた時期には、7代時代からの弟子である[[アルゼンチン]]出身の[[星誕期偉真智|星誕期]]と[[星安出寿保世|星安出寿]]が十両へ昇進したが、幕内力士は出せなかった。8代陸奥は1997年12月に井筒部屋の部屋付き親方である10代[[勝ノ浦]](元[[大関]]・[[霧島一博|霧島]])に部屋を譲渡して日本相撲協会を退職した。10代勝ノ浦は9代陸奥を襲名して部屋を継承すると共に、部屋を両国駅前に移転した。2000年9月には14代[[立田川 (相撲)|立田川]](元関脇・[[青ノ里盛|青ノ里]])の定年退職によって閉鎖された[[立田川部屋]]を吸収合併した<ref name="catalog3639">ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p36-39</ref>。さらに[[大相撲令和元年9月場所|2019年9月場所]]中に、9代陸奥の弟弟子である15代[[井筒 (相撲)|井筒]](元関脇・[[逆鉾昭廣|逆鉾]])が急死<ref>{{Cite news2|title=元関脇逆鉾、井筒親方が死去 58歳すい臓がんか|newspaper=ニッカンスポーツ・コム|date=2018-09-17|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201909160001163.html|agency=日刊スポーツ新聞社|accessdate=2018-09-27}}</ref>し、師匠が不在<ref>本場所中だったため力士等は本場所終了まで[[鏡山部屋]]の一時預かり(所属は井筒部屋のまま)となっていた。</ref>となった[[井筒部屋]]が閉鎖されたため、同部屋に所属していた横綱・[[鶴竜力三郎|鶴竜]]を含む力士3人と床山1人を引き取った<ref>{{Cite news|title=横綱鶴竜ら、陸奥部屋へ転属 井筒親方の急逝で |newspaper=日本経済新聞 |date=2019-09-27 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK50741_X20C19A9000000/ |accessdate=2019-09-27}}</ref>。この受け入れで11代井筒逝去後に分裂した部屋が再び一つとなった
 
9代が師匠に就任して以降は、[[序二段]]時代に立田川部屋から移籍してきた[[白馬毅|白馬]]が小結へ昇進している。部屋の生え抜きの力士としては、2008年1月場所において[[岡本将之|霧の若]]が新十両へ昇進し、9代が育てた力士としては初の関取となった。それから丸12年後の2020年1月場所において[[霧馬山鐵雄|霧馬山]]が幕内に昇進し、9代が育てた力士としては初の幕内力士となった。その後、霧馬山は2021年11月場所に新三役に昇進<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202110310001159.html 【九州場所新番付】照ノ富士が初めて東横綱に、1人横綱は史上10人目] 日刊スポーツ 2021年11月1日6時2分 (2021年11月3日閲覧)</ref>。