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== 略歴 ==
前藩主・仙石政美の側近だったが、[[文政]]6年([[1823年]])に政美に罷免される<ref>「水野忠邦は老中首座・松平康任追い落としに仙石騒動を利用する」榎本秋著 『身につまされる江戸のお家騒動』 朝日新聞出版社、185頁。</ref>。騒動が起きた当時は、江戸で仙石氏の同族の[[仙石久祇]](仙石弥三郎の用人を務めていた<ref>北島正元著 『水野忠邦』 吉川弘文館、185頁。</ref>。
 
天保4年(1833年)、仙石左京が藩を乗っ取ろうとする陰謀を企んだとして国許にいる河野瀬兵衛と協力し、左京を弾劾する上書をもって幕府[[老中]]や仙石支族に訴えるが、誣告だとして瀬兵衛は追放に処せられる<ref>「神谷轉」『日本人名大事典』第2巻 平凡社、167頁。「水野忠邦は老中首座・松平康任追い落としに仙石騒動を利用する」榎本秋著 『身につまされる江戸のお家騒動』 朝日新聞出版社、184-187頁。</ref>。瀬兵衛は天保5年(1834年)に但馬生野で捕らえられ、翌天保6年(1835年)7月に処刑<ref>「水野忠邦は老中首座・松平康任追い落としに仙石騒動を利用する」榎本秋著 『身につまされる江戸のお家騒動』 朝日新聞出版社、185頁。「仙石騒動」『国史大辞典』第8巻 吉川弘文館、410頁。北島正元著 『水野忠邦』 吉川弘文館、186頁。</ref>。