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与謝野晶子、山川登美子、整備
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'''茅野蕭々'''(ちの しょうしょう、本名儀太郎、[[1883年]][[3月18日]] - [[1946年]][[8月29日]])は、[[長野県]][[諏訪市]]出身の[[ドイツ文学者]]である。
[[東京帝国大学]]卒業。[[第三高等学校]]教授、[[慶應義塾大学]]教授、[[日本女子大学]]教授を歴任した。[[与謝野鉄幹]]が主宰する[[新詩社]]の「[[明星]]」同人として短歌、詩、評論等を寄せ、妻雅子とともに活躍した。明星廃刊後は、[[森鴎外]]、与謝野鉄幹らの「[[スバル]]」で活躍した。[[リルケ]]、[[ゲーテ]]その他の翻訳書が多数ある。茅野は当時、[[与謝野晶子]]、[[山川登美子]]とともに「明星」に短歌を寄せ活躍していた3歳年上の増田雅子に熱烈な求婚をし、親の反対を受けた雅子が日本女子大の卒業を待って、絶縁覚悟で大学生の蕭々と結婚したことは、よく知られている。また、1945年[[東京大空襲]]で被災し、蕭々が顔面に火傷を負い、翌46年失意のうちに脳溢血で急死し、雅子も後を追うごとく4日ののちに病逝したこともまたよく知られているところである。
 
[[東京帝国大学]]卒業。[[第三高等学校]]教授、[[慶應義塾大学]]教授、[[日本女子大学]]教授を歴任した。[[与謝野鉄幹]]が主宰する[[新詩社]]の「[[明星]]」同人として短歌、詩、評論等を寄せ、妻雅子とともに活躍した。明星廃刊後は、[[森鴎外]]、与謝野鉄幹らの「[[スバル (文芸雑誌)|スバル]]」で活躍した。[[リルケ]]、[[ゲーテ]]その他の翻訳書が多数ある。茅野は当時、[[与謝野晶子]]、[[山川登美子]]とともに「明星」に短歌を寄せ活躍していた3歳年上の増田雅子に熱烈な求婚をし、親の反対を受けた雅子が日本女子大の卒業を待って、絶縁覚悟で大学生の蕭々と結婚したことは、よく知られている。また、1945年[[東京大空襲]]で被災し、蕭々が顔面に火傷を負い、翌46年失意のうちに[[脳溢血]]で急死し、雅子も後を追うごとく4日ののちに病逝したこともまたよく知られているところである。
 
== 著書 ==
 
 
*ゲョエテ研究([[第一書房]])
*リルケ詩抄(第一書房)
*朝の果實(随筆集、雅子と共著)([[岩波書店]])
*獨逸浪漫主義([[三省堂]])
 
 
== 訳書 ==
*([[ハンス・クリスチャン・アンデルセン]])絵なき絵本(旧字旧仮名)
 
*([[テオドール・シュトルム]])白馬の旗手([[岩波文庫]])
 
*([[オーギュスト・ストリトベセン]])絵なき絵本令嬢ユリエ旧字旧仮名岩波書店
*([[フリードリッヒ・フレーベル|フリードリッヒ・フレョエベル]])母の歌と愛撫の歌(岩波書店)
*(シュトルム)白馬の旗手([[岩波文庫]])
*(オーギュスト・ストリントベルク)令嬢ユリエ自然主義的戯曲(岩波書店)
*(フレョエオーギュスト・ストリントベル母の歌と愛撫の歌戯曲「ダマスクへ」[[小宮豊隆]]共訳、岩波書店)
*(ストリントベルク)自然主義的戯曲(岩波書店)
*(ストリントベルク)戯曲「ダマスクへ」([[小宮豊隆]]共訳、岩波書店)
*世界童謡集
 
 
== 論文 ==
*[[詩歌]]の根本疑を解く(明星、明治40407月号)
*詩歌の本質(明星、明治41414月号)
 
[[Category:ドイツ文学|ちの しようしよう]]
 
[[Category:文学研究者|ちの しようしよう]]
*[[詩歌]]の根本疑を解く(明星、明治40年7月号)
{{生没年|ちの しようしよう|1883年|1946年}}
*詩歌の本質(明星、明治41年4月号)