「子貢」の版間の差分

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== 政治家としての子貢 ==
春秋左氏伝には、国難に際して子貢が[[呉 (春秋)|呉]]、[[斉 (春秋)|斉]]などへ、外交官として使わされていることが散見している。(春秋左氏伝では'''子贛'''とも表記されている。同一人物とされる)
また、魯の大臣が外交の場で失敗して、子がいれば失敗しなかったのに、と残念がっている表現や、斉国から成という城市を取り戻していること、答えに窮した正使を助けていることなどの言動から、かなり有能であったことがわかるし、孔子にも勝ると一部で評価されるのも理解できる。
 
また、[[史記]]の記述によれば、[[魯]]を救うために[[越]]、[[呉 (春秋)|呉]]、[[斉 (春秋)|斉]]、[[晋 (春秋)|晋]]に使いし後の縦横家顔負けの弁舌をふるって魯を救い、呉を滅ぼし、越を覇者たらしめ、斉と晋を守ったとされる。
類似の記述は[[墨子]]の非儒下編にもある。
 
このような功績から、魯衛の宰相になったといわれる。
 
また、[[墨子]][[韓非子]]『[[荘子 (書物)|荘子]]』(そうじ)に子貢が登場していることから、当時の人々にとってかなり有名な人物であったことがわかる。
 
== 孔子との関係 ==
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