「ヤン・ラディスラフ・ドゥシーク」の版間の差分

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== 作品とその受容 ==
 
ドゥシークは、[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]や[[ロベルト・シューマン|シューマン]]、[[フレデリック・ショパン|ショパン]]など、[[ロマン派]]のピアノ曲の作曲家の重要な先駆者である。同世代のその他の後期古典派の作曲家に比べると、ドゥシークはいちじるしく「モダン」に響く曲が多い。それでも、その作品は作曲された時点で流行してはおらず、後代の作曲家たちがドゥシークに影響されたかどうかは、今なお疑問が少なくない。ドゥシークは、独自の線を進んで模倣者を呼ばず、その意味ではどことなく[[カルロ・ジェズアルド|ジェズアルド]]に似ている。様式的に、[[古典派音楽]]よりも[[ロマン派音楽]]と多くの共通点をもち、ほとんどの作品は、作曲年代から20年ほどのちの、ロマン派音楽の始まりになって、ようやく受容されたのである。
 
ドゥシーク作品の中でも有名になったいくつかは、ピアノ独奏用の小品で、その多くが標題的な副題を持っている。たとえば「フランス女王の嘆き」([[1793年]])は、さまざまな長さの一連のエピソードからなり、子供たちとの別れも含めて、女王の不運に関するテクストが挿入されている。