「小袖曾我薊色縫」の版間の差分

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ととりん (会話 | 投稿記録)
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== その他 ==
 
 初演はおおあたりであったが、江戸城御金蔵破りの一件が問題となり、上演中はかなりのカットが行われ筋がわからなくなるほどであった。それでも35日目には上演禁止となった。
 題名に凝る新七らしく、「小袖曽我」は能楽の演目に、劇中追放される清心に小袖を渡す場面を利かせている。「薊」は「鬼薊清吉」の一字を「色」は十六夜の働く「色街」をそれぞれ利かせている。
 
 
 初演はおおあ大当たりであったが、官憲に江戸城御金蔵破りの一件を仕組んだ事問題となり睨まれ、上演中はかなりのカットが行われ筋がわからなくなるほどであった。それでも35日目には上演禁止となった。
 
 新七は、黙阿弥と改名後の1886(明治18)年に、『四千両小判梅葉』を脚色し、実録風の江戸城御金蔵破りを劇化している。
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 『稲瀬川』は風采の上がらない小團次と美しい女形の粂三郎の色模様が、清元『梅柳中月』をBGMに使う江戸情緒あふれる場面である。(実際は江戸の隅田川)粂三郎の妖艶さは「あれなら迷わぬ方がどうかしている。ナニ寺を開いたってかまやしねえ。」と名人小團次に溜息混じりにい言わせるものであった。
 
 新七は、まだ若手の粂三郎に「豊かな黒髪」「坊主頭」「ショートヘア」と三つの異なる髪型を演じさせる事で、同優の魅力を引きたてさせた。ただ、2幕目で、いきなり坊主では困るとの粂三郎の母からクレームがついたので、はじめ頭巾を被り、幕切れで「変わりし頭旦那様に」と西心が頭巾をとり、おさよの坊主頭が出る。ここで「あれ。(ト恥ずかしき思い入れにて、傍らの網代笠を冠る。これを柝の頭)お恥ずかしゅうございます。」と、おさよが恥らう演出に替えて人気が出た。
 
 清心と十六夜は当代の人気役者が演じるのが定型となり、戦前は十五代目[[市村羽左衛門]]と六代目[[尾上梅幸 (6代目)|尾上梅幸]]。戦後は十一代目[[市川團十郎 (11代目)|市川團十郎]]と七代目[[尾上梅幸 (7代目)|尾上梅幸]]。現在は現[[片岡仁左衛門 (15代目)|片岡仁左衛門]]と[[坂東玉三郎 (5代目)|坂東玉三郎]]が代表的な取り合わせである。