「ハスキー作戦」の版間の差分

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[[ファシスト党|ファシスト政権]]に反感を持つシチリア・[[マフィア]]がアメリカ軍と内応し、同軍を支援したことも影響して、イタリア軍が担当していた島西側の戦線は崩壊する。アオスタ歩兵師団がアメリカ第1歩兵師団に多大な損害を与えて一矢報いるも趨勢は変わらず、24日に連合軍はシチリア西部を制圧し、イタリア軍主力が降伏、大勢が決する。その後、ドイツ軍の[[ハンス=ヴァレンティーン・フーベ]][[上級大将]]は、イタリア軍残余と共に後退戦術を取った。[[メッシーナ]]近くに防御陣地を準備し、連合軍の北上を一時的に抑えたが、連合軍がシチリアと本土を結ぶメッシーナ海峡を占領しようとした事から、[[アルベルト・ケッセルリンク|ケッセルリンク]]元帥はシチリア放棄を決定した。
 
8月17日、シチリアの枢軸軍残存部隊がイタリア本土へ撤退。シチリアを巡る戦いは連合軍側の勝利に終わったが、枢軸軍側は撤退までに3万5000人の兵員と軍用トラック9600両、俘虜数千名などを本土に引き揚げさせることに成功した<ref>独伊連合軍、イタリア本土に上陸『朝日新聞』昭和18年9月4日 朝日新聞)『昭和ニュース典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p406 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。
連合国軍側は侵攻の手を緩めず、[[9月2日]]夜にはシチリア島から[[メッシーナ海峡]]を渡り、本土の[[カラブリア州]]に対して[[上陸作戦]]を実施。翌朝までに上陸を果たした<ref>連合軍、イタリア本土に上陸『朝日新聞』昭和18年9月4日 朝日新聞)『昭和ニュース典第8巻 昭和17年/昭和20年』p406本編p406)</ref>。
 
== 脚注 ==