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'''チャン・シャルケン'''('''Sjeng Schalken''', [[1976年]][[9月8日]] - )は、[[オランダ]]・[[リンブルグ州 (オランダ)|リンブルグ州]]ヴェールト出身の男子プロ[[テニス]]選手。世界屈指の速度を誇る、強力な弾丸サーブを最大の武器にする“ビッグ・サーバー”タイプの選手である。シングルス自己最高ランキングは11位。[[男子プロテニス協会|ATP]]ツアーでシングルス9勝、ダブルス6勝を挙げる。身長193cm、体重82kgの長身選手。
 
[[1994年]]にプロ入りし、[[1995年]]にツアー初優勝を記録する。シャルケンが世界的に有名になったのは、[[2000年]][[ウィンブルドン選手権|2000年ウィンブルドン]]3回戦で[[オーストラリア]]の[[マーク・フィリプーシス]]と対戦した時だった。2人ともビッグ・サーバーどうしの対決だが、ウィンブルドンでは最終第5セットでは[[タイブレーク]]を行わないため(すなわち、どちらかが2ゲーム勝ち越すまで試合を続行する)、大会史上最多ゲーム記録となる「83ゲーム」と試合時間「5時間5分」の末にフィリプーシスが 4-6, 6-3, 6-7, 7-6 →「20-18」で勝利をもぎ取った。この試合が行われたウィンブルドンの2番コートは満席になり、入場できない多数の観客に取り囲まれ、場外からも見えるスコアボードの数字にどよめくほどの盛り上がりだったという。その3ヶ月後、シャルケンは[[日本]]の「[[ジャパン・オープン・テニストーナメント|ジャパン・オープン]]」で初優勝を飾った。
 
シャルケンの[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]自己最高成績は、[[2002年]]の[[2002年全米オープン (テニス)|全米オープン]]準決勝進出である。この1回戦で、シャルケンはフィリプーシスと対戦していたが、フィリプーシスが第4セット終了の時点で試合を途中棄権した。勢いづいたシャルケンは一気に自己最高のベスト4まで勝ち進んだが、準決勝で[[ピート・サンプラス]]に 6-7, 6-7, 2-6 のストレートで敗れた。(サンプラスは続く決勝戦で[[アンドレ・アガシ]]を破り、現役最後の試合を4大大会通算「14勝」の優勝で飾った。)<!--現役引退に関する話がはっきりしない-->
 
[[オランダ]]のプロテニス界には“ビッグ・サーバー”タイプが多く、[[1996年]]の[[1996年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]優勝者[[リカルド・クライチェク]]や、[[2003年]]の[[2003年全仏オープンテニス|全仏オープン]]準優勝者[[マルティン・フェルカーク]]もビッグ・サーバーである。
== 関連項目 ==
* [[テニス]]
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[[en:Sjeng Schalken]]
[[es:Sjeng Schalken]]
[[fi:Sjeng Schalken]]
[[fr:Sjeng Schalken]]
[[nl:Sjeng Schalken]]