「関西」の版間の差分
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近江国(滋賀県)は五畿ではない。間違い修正 タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
「近江の大部分および播磨以西を含めず、淡路や丹後等を含めたものを関西と呼ぶ」「関ケ原町の大部分を含めて関西と呼ぶ」などが本当に一般的な用法なのか疑問 |
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| 独自研究=2019-09-03
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'''関西'''(かんさい)は、[[畿内]]を中心とする[[日本]]の[[地方]]を指す言葉である。関西に含まれる
学会では明治維新や皇居の東京移転以降、天皇家の方角を示す「'''[[上方]]
▲学会では明治維新や皇居の東京移転以降、天皇家の方角を示す「[[上方]] 」に語弊が生じた為、[[五畿]]以西の[[上方]]方面を意味する用語として、明治政府が積極的に普及させたとの歴史が研究発表されている。江戸時代の「[[上方]]」の後継用語ともされている。
この他にも関西◯◯局、近畿◯◯局など、国や省庁が掲げる機関においては、様々な事業により多少の区域変更が見られ、地方区分名称とその管轄区域が必ずしも一致しない。行政機構である[[関西広域連合]]には、2府4県に加えて
▲さらに[[三重県]]([[五畿七道|七道]]の東海道の西端)と[[滋賀県]]([[五畿七道|七道]]の東山道の西端)を加えた2府5県は[[日本の地域|日本の地方区分]]用語の '''[[近畿地方|近畿]]('''きんき、[[畿内|五畿]]を含む府県とその近隣の県)とされる。これは国の定める行政の用語であり、全国の義務教育課程で教育指導されている。近畿地区では上記の「関西の正式な区分規定無し」について、地元ゆえに社会科などで細かな説明をする中学校や高校もある。
== 概要 ==▼
「関西」という概念が生まれたのは鎌倉時代の歴史書「[[吾妻鏡]]」に見られるのが最初であるが<ref name="kokudokeikaku">https://www.kkr.mlit.go.jp/kokudokeikaku/program/data/2008/manage_20080228/6.pdf</ref>、長らく「関西」の概念は確定しなかった。これは現在「関西」と呼ばれる地域が長らく日本の中心地であり、畿内以外では「[[上方]]」などの地域名称を用いたためである。
▲行政機構である関西広域連合には2府4県に加えて、鳥取県と徳島県が含まれる。<ref>{{Cite web |title=ホーム{{!}}関西広域連合 |url=https://www.kouiki-kansai.jp/index.html |website=www.kouiki-kansai.jp |access-date=2023-02-03 |language=ja}}</ref>
▲== 概要 ==
▲「'''関西'''」という概念が生まれたのは鎌倉時代の歴史書「[[吾妻鏡]](あずまかがみ)」に見られるのが最初<ref name="kokudokeikaku">https://www.kkr.mlit.go.jp/kokudokeikaku/program/data/2008/manage_20080228/6.pdf</ref>。長らく「関西」の概念は確定しなかった。これは現在「関西」と呼ばれる地域が長らく日本の中心地であり、畿内以外では「[[上方]]」などの地域名称を用いたためである。現在の「関西」という概念は、[[明治維新]]による江戸の東京への改称以後(特に大正末期・昭和初期以降)になって畿内や上方に代わる表現として醸成された。[[近畿地方|近畿]]という言葉が明治時代に使われるようになり、文献で見られるのは1898年(明治31年)で1903年の地理の第一期国定教科書に掲載され定着した<ref name="kokudokeikaku"></ref>。しかし、[[近畿地方|近畿]]が、「ねじれた」「[[変態性欲|変態の]]」といった意味がある英語の "kinky" に発音が似ていることから、国際化が進展した[[平成]]以降の日常的な使用に拍車がかかったものである。その背景にある歴史変遷は後述のとおりである。日本では現在のところ「関北」や「関南」は実在しない。
== 時代による概念の変遷 ==
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