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{{Quote|
世尊告曰 ...<br>
Katamā ca bhikkhave, micchādiṭṭhi: ..... natthi sukaṭadukkaṭānaṃ kammānaṃ phalaṃ vipāko,
  假令經百劫 所作業不亡<br>
.... Ayaṃ bhikkhave, micchādiṭṭhi.
  因縁會遇時 果報還自受<br>
 
[[世尊]]は言った。仮令(たとい)百千劫を経とも、所作の[[業]]は亡ぜず。因縁会遇の時には、果報還って自ら受く。
比丘たちよ。[[邪見]]とは何か。.... 善悪の業の果である[[業|異熟]](=果報)はない。
 
.... 比丘たちよ、これが邪見である。
| [[大正新脩大蔵経]], [[根本説一切有部毘奈耶]]<ref>{{Cite |title=SAT大正新脩大藏經テキストデータベース2018版 (SAT 2018) |publisher=東京大学大学院人文社会系研究科 |url= https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/master30.php |date=2018 |at=Vol.23, No.1442}}</ref> }}
| {{SLTP|中部[[大四十経]] }} }}
 
仏教において因果は次のように説かれる。
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* '''悪因苦果'''(あくいんくか)…悪が苦をうむ(悪因悪果ともいう{{Sfn|スマナサーラ|2014|loc=No.91/359}})
 
因は善あるいは不善(悪)であり、果は楽であれ苦であれ無覆無記となることについて、因から果が異なって熟することを'''異熟果'''と呼ぶ。因果を否定する見解を、釈迦は邪見だと断じている<ref>{{SLTP|中部[[大四十経]] }}</ref>
 
単純に「善因楽果・悪因苦果」について“善いことをすれば良いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こる”と解説される場合があるが、因と果は、数えきれないほどの過去における生を想定する概念であるために、その機序は複雑であり、今生の因が今生で果となるとは限らない。また、「良いことをすれば思い通りのことが起きる」という独自な教えを説く団体もあるが、厳密には正確な解釈ではない。
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=== 六因五果論 ===
[[説一切有部阿毘達磨倶舎論]]では以下の六因五果論が提出された。
 
* 六因 - 能作因, 倶有因, 同類因, 相応因, 遍行因, 異熟因
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*[[前後即因果の誤謬]]
-->
 
{{Buddhism2}}
 
{{Normdaten}}
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[[Category:原始仏教]]
[[Category:福音書]]
[[Category:心]]