「義務論」の版間の差分

おかしな箇所があれば訂正お願いします。
m
(おかしな箇所があれば訂正お願いします。)
[[イマヌエル・カント|カント]]は、[[理性]]によって導き出される普遍的な究極の道徳規則というものの存在を提起し、それに無条件に従う事が倫理の達成であると提唱した。
 
我々人間をはじめとする理性的存在者は、''[[善い]][[意志]]が最も善いものである''事を理解して[[理想]]としている。しかし、人間は[[欲求]]などの様々なしがらみににより善い意志を保持出来ない。そこでこの善い意志の行為を[[義務]]とする事で、善い意志を実現させる事に成功した。
これはその他の諸理論にある「行為の目的」という物を排し、どんな場合でも無条件かつ教条的に道徳規則に従うという事から、[[規則功利主義]]とは根本的に異なる。
善い意志とは「'''その行為が普遍的となる事を同時に意志できる行為をする'''」である。これが義務になると「~行為をせよ」となる。解り易く言えば、道徳的な行為の条件とは、自分が行為しようとする事が誰が行為してもよい、とその時同時に自分も進んで意志出来なければならない、という事である。こうして善い意志は人間においては義務的な道徳規則となった。
 
ちなみに、道徳規則に従う事は自らの自由意志によって規定しなければならないという。これを[[自律]]という。ここで言う自由とは理性にとっての自由である。理性以外の一切のもの(例えば欲求)によって行為を規定してはならない。こうしてカントは理性的存在者の[[自由]]と[[尊厳]]を確保したのである。
 
これ義務論はその他の諸理論にある「行為の目的」という物を排し、どんな場合でも無条件かつ教条的にで結果を考慮せず道徳規則に従うという事から、[[規則功利主義]]とは根本的に異なる。
 
[[category:倫理|きむろん]]
匿名利用者