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簡雍の没年を示す史料がありませんが、三国志集解がそう唱える論拠を
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'''簡雍'''(かんよう、?-[[229年]]?)?-?)は、[[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[蜀漢]]の[[武将]]。[[字]]は'''憲和'''。[[幽州]]の人。[[劉備]]と同郷の出身者で、その[[竹馬]]の友人だった。『三国志集解』によると、簡雍の旧姓は“'''耿'''”だったが、幽州では“簡”と発音されてたので、そのために改姓したという。また、地元の[[富豪]]の子息で、劉備の母方の[[いとこ]]に当たるともいわれている。
 
== 略要・人物 ==
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劉璋を降伏させた功績により、劉備から昭徳将軍に任命されている。<br>
また、『三国志集解』によると、没年は[[229年]]とされる。
 
=== 禁酒令での逸話 ===