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==歴史==
[[1170年]]、史料上でツヴァイブリュッケンが確認される。14世紀半ば、[[神聖ローマ帝国|神聖ローマ皇帝]]の[[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]によって都市特権を認められた。17世紀の[[三十年戦争]]では大きな被害を受けた。[[フランス]]の影響を受けて、[[カトリック教会|カトリック]]化されていたが、一時期、ドイツ[[貴族]]出身の[[プファルツ王朝|プファルツ家]]によって事実上[[スウェーデン]]領となっていた時期もあった。[[ナポレオン戦争]]中には、一時[[リュネヴィルの和約]]によってフランス領に組み込まれたが、[[ウィーン議定書]]によって[[バイエルン王国]]領となった。[[第一次世界大戦]]後、1930年までは[[フランス軍]]が駐留していた。1938年の[[水晶の夜]]では、[[ユダヤ人]]の[[シナゴーグ]]が破壊された。[[第二次世界大戦]]中、[[イギリス軍]]の[[空爆]]によって街の多くが破壊された。
== 姉妹都市 ==
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