「コミックマーケット」の版間の差分

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=== 晴海(1期) ===
[[1981年]]の冬コミであるC19は、当初川崎市民プラザで開催される予定であった。しかしそこに分裂騒動が起こり、反主流派([[クーデター]]派、改革派と名乗った)は先手を打って会場を押さえてしまった。規模拡大に伴い、規制強化が必要と認識したからとも、既に力を持ち始めていたコミックマーケットの名声に目が眩み、乗っ取りを謀ったからともいう。また、声優を呼んだり、アニメの上映会を開いたりできないかとする意見があり、コミックマーケットには合わないと却下された経緯もあったという(ただし、後者は後年、企業ブースとしてコミックマーケットでも実現する)。こうして、コミケット準備会は望まぬままに東京・晴海にあった[[東京国際見本市会場]](通称[[晴海]])の使用に踏み切った(分裂した側は「新・コミックマーケット」を名乗り、後に「コミックスクウェア」と改称した。しかしいつまで続いたのかは不明である。また、2006年現在、現存する同人誌即売会の「コミックスクエア」とは無関係である。「コミックスクウェア」終了後、一部は「[[コミックレヴォリューション]]」開催に加わったともいう)。
 
以後、コミックマーケットの会場は6年間にわたって晴海に落ち着く。その間、参加サークル、参加者数共に増大を続け、[[1983年]]冬コミのC22において参加サークルは1,000を越え、第一期晴海時代の最後の開催であるC30には3,900サークル、約35,000人が参加するに至る。また、この間に1983年を最後に春コミが廃止された(後に一度だけ開催される)。この間、[[1985年]]ころから『[[キャプテン翼]]』(『C翼』と略された)が女性サークルに絶大な人気を呼び、作品を題材にしたいわゆる「[[やおい]]」サークルが増加。若い女性参加者を大きく増やすこととなった。1983年よりスタッフに加わった[[岩田次夫]]は、『キャプテン翼』ブームが少女漫画再生の鍵になると見て、やおいサークルを激賞。『キャプテン翼』そのものは[[少年漫画]]であり、にもかかわらず女性がほとんどを占めたことが同人サークルの特異性である。ブームから外れた時期になるが、[[1992年]]のC43での公表データによると、『C翼』サークル代表者は男性6、女性1083で、女性比率は99%を超えている。少年漫画(特に「[[週刊少年ジャンプ]]」作品)サークルが女性中心の傾向は現在でも変わっておらず、むしろ出版社側も利用する動きがある。